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 「 滅 ぼ さ れ た 町 」

         「 滅 ぼ さ れ た 町 」 

         創世記第19章24節-29節

                   主の1999年11月28日

・おはようございます。いかがおすごしでいらっしゃいますか。日本キリスト改革派教会名古屋岩の上教会の牧師をしております、相馬です。今日も早速、アブラハムの物語から、あなたを愛しておられる神さまのメッセージを聴いてまいりたいと思います。

・アブラハムはかつてこのように祈りました。「もしかソドムの町にたった10人でも正しい人がいたら神さまはその10人を見捨ててソドムを滅ぼしてしまわれるのですか。」
神は応えて言われました。「その10人のためにわたしは滅ぼさない。」ところがしかし、ソドムの町には、ただロトとその家族以外に神を畏れ、正しく歩む人の全くいないことを神は確かめられました。ついに、その日が、神の審きが下されるその日が来たのです。

 ・いったいそれはどのような審きだったのでしょうか。聖書は告げます。「主のもとから硫黄の火を降らせ、~滅ぼした。」聖書の学者は、これは大地震が起こって、地下の天然ガスや硫黄さらには石油が地上に噴出し、折から落雷の火花がそれらに引火して、一体が火の海になったのだと言います。しかし、ロトとその妻、そして二人の娘の4人はこの審きから脱出させて頂きました。彼らは、ソドムの町のなかに暮らしてもなお、神を畏れる心だけは失っていなかったからです。しかし忘れてならないことは背後に、アブラハムの祈りがあったからです。もちろん、決定的な理由は、彼らを憐れむ神の御心があったからであります。それゆえに、夜が明けるころの事、彼らは、神に手を引っ張られるようにして、町外れに連れだされたのであります。そこで、神は言われました。「命がけで逃れよ。後ろを振り返ってはいけない。」太陽が昇りはじめたとき、ロト達はツォアルという逃れの町に着きました。助かったのです。そしてまさにその時に、神の審きは予告どおりソドムに及んで、町は火の海になりました。しかし、物語はそこで終わりません。なんと、ロトの妻が後ろを振り向いたのです。その瞬間に、彼女は塩の柱になってしまいました。

 ・さて、いったいこの物語は今を生きる私共に何を伝えるために書き記されたのでしょうか。一つだけ数えるなら、それは、「神の審きは必ずある」と言うことであります。多くの人が「世界には不正がはびこって、罪のない多くの者の血が流されている、だから神などいない」と嘆いておられます。確かに、そのような現実ばかりが目につくのは事実かと思います。しかし、神はおられます。彼らの涙も、流された血も神は見ておられるのであります。そして、新約聖書が警告しているとおり、最後の審判によって必ず悪は根絶され、罪は審判されるのです。その日は必ず突如として訪れます。決着がつきます。もしあなたが、神は必ず正しい審判を下してくださると信じるなら、あなたはこの世で、悪に染まることなく、終わりの日の勝利と栄冠を信じて希望を持って、前進することができるのであります。これがキリスト教信仰の力なのです。

実は、あなたもロトのように誰かに祈られているはずです。確実なことは、天にいます主イエス・キリストに祈られているのです。もう後ろを振り返る必要はありません。神に向かって、本当のゴールに向かってご一緒に歩みつづけて参りましょう。