過去の投稿2006年2月19日

2月19日

★  先週のバザーは、売り上げが4万円を越えたと伺っております。皆様のご協力に感謝申し上げます。とりわけ、出品のご奉仕をされた方々、手作り品をご準備くださった方々に、心から感謝申し上げます。教会員同士のバザーであることにかんがみ、もっと値段を高く設定しても良かったのでは、とくに、手作り品や食事などはと思いました。原価のみであれば、献金にしたほうが便利・有利?ということにもなりかねません。次回、もし会員向けで行うなら、焼きそばなども150円から250円にすべきでは?などと考えました・・・。

☆  先週は、バザーを控えた礼拝式の報告でしたから、すっかり、「信教の自由を守る集会」の出席者報告をすっ飛ばしてしまいました。85名という多くの出席者はもとより、内容的にも、すばらしいものでした。昨年同様、今年も委員会は、会員による発題をプログラムに入れました。
トップバッターの我らが○○委員の発題は、青年代表ですばらしいものでした。また、75歳の○○○姉も金沢から昨年に引き続いての奉仕でした。戦争経験者の証言の重みを思いました。彼女は、昨年の青年発題者の言葉を引用されました。「このような平和への関心は、特別の勉強をしなくても、主の日の礼拝を捧げていれば出てくる」深い印象を与えられたとのこと。これは、○○委員の発題のなかの言葉ではなかったかと思います。私どもは、教会の礼拝説教や学び会に出ているだけで、必然的に、平和の問題、ひいては憲法や信教の自由の問題などに関心と基本姿勢を整えられると信じています。それだけに、今回の○○委員の発題も、牧師としては、大変、うれしい思いにあふれながら聴いていました。さらに、40代の名古屋教会の○○執事は、ご自分の市民運動の経験(在留外国人の教育権問題)から、憲法は、その内実を得る為に戦いとらなければならないと主張され、まったくその通り!と深く頷きました。犬山教会の○○長老も、常連?の発題者で、憲法についてのほとんど講義をなさいました。那加教会の○○長老は、憲法をあらためて読み直され、天皇について第一章で細かに規定されていることへの違和感を訴えられました。戦前の体制が巧妙に引き継がれていること、私どもがそれは見抜かなければならないということでしょう。まさに、私どもが憲法を擁護するという意味は、日本国憲法の象徴天皇制を擁護しているわけではないのです。憲法の三大原理といわれる、「国民主権・基本的人権の尊重・国際平和主義」を擁護するのです。

★  この点で、今回の抗議声明には、記されませんでしたが、わたしの案文では、この天皇制の第1条と戦争放棄の第9条との関わりに言及しました。これは、いつか、みなさまと学ぶことができ、「市民のみなさまへ」で、訴えても良いかもしれないと考えますが、憲法9条と引き換えに天皇制の存続が可能となったという関係を見過ごしてはならないと思います。憲法9条を今捨てるなら、それは、まさに、国際社会を欺くことです。そして、日本の歩みを裏切り、未来を失うことを意味するはずです。

☆  しかし何より、わたしがカッカと興奮したことは、75歳の戦う人、西川重則氏の原稿なし講演を伺ったことです。一言で申しますと、西川氏のなかに、日本キリスト改革派教会の目標とすべき信徒像があると思わされました。西川氏は、水曜祈祷会をどんなに大切な市民集会があっても死守されるそうです。それこそが、霊的な力であり、御言葉とウエストミンスター信仰基準に導かれていることが、西川先生の活動の指針なのです。私どもも、水曜祈祷会を重んじることを当然のことといたしております。今回の発言でなお、同志を見る思いが致しました。また、ウエストミンスター信仰告白の解釈についても、まっとうなご意見を伺えました。一言で申しますと、ウエストミンスター信仰告白原理主義の否定です。つまり、ウエストミンスター信仰告白第23章には「合法的戦争を行うこともありうる。」とあります。もしこの文言を21世紀の今日、とりわけ日本の状況でそのまま受け容れるなら、私どもは日本国憲法を否定しなければならなくなる可能性すら生じます。しかし、信仰告白を「歴史の相」から見なければなりません。つまり、17世紀の英国という時代状況です。大量破壊兵器という武器を備えたハイテク戦争。キリスト者の為政者がいない日本の現実、(外務大臣!麻生太郎氏は「私のような敬慶(ママ)なカトリック」と公表されていことを今回初めて知りました)から考えなければならないのです。東部中会の平和問題への混乱(有事法制への賛否の不一致)について、私自身は極めて深刻に受け止めています。中部中会は、少なくとも、今回のような集会参加者声明を満場一致で出し、先には、中会の議決を経て、60周年宣言の文言加筆の提案を憲法第一委員会に送ったほどです。私どもの中会が、その意味で、日本キリスト改革派教会の方向性を正すことができたらどれだけ幸いかと、わたしは、強く考えております。