過去の投稿2006年4月30日

4月30日

★ 今週は、日本キリスト改革派教会創立60周年記念信徒大会が開催されます。当伝道所からは、参加者のしおりで分かりましたが、26名とのこと。契約の子達も多いことと、ご主人たちも参加されることで、比較的多くなったのでしょう。第一日目は、臨時大会です。報告欄に記載しましたように、二つの議事がなされます。この間、1時間半、皆さんは陪席されながら、様子を見るということになるのでしょう。つまらないといえば、まったくつまらない「時」かもしれません。しかし、中会定期会や大会の議事運営がどのようになされるのか、雰囲気を知るということだけでも、「意味」はあるかもしれません。愛餐感謝会は、わたしも出席しません。板宿教会に転出された日笠家を囲んで夕食の交わりをということが、参加者の大きな目的!です。

☆  60周年大会は、言わば、「お祭り」でしょう。多くの皆様同様、私自身も初めて出席です。現在、私どもが置かれている日本とそして私どもの教会は、危機的状況にある。これが、わたしの率直な感想です。
   -なによりも今国会会期中に、「教育基本法改正」という「憲法改正」の決定的地固めを政府与党は企てています。さらに加えて「共謀罪」というかつての「治安維持法」(これによって戦争反対の市民運動、宗教活動は徹底して弾圧されました)まがいの法律も制定しようとしています。いよいよ、戦争できる国家体制の仕上げを企てているということを意味します。先の総選挙における自民党圧勝の実りをわれわれは刈り取り始めているのでしょう-

この国の問題と日本キリスト改革派教会の問題とは、創立宣言にあるように(今回の読書会で学んだとおり!)分けて考えることはできません。それが、私どもの教会の基本姿勢です。しかし、日本の危機状況と私どもの教会の状況とが、重なって見えるのは私だけなのでしょうか。60周年以降、私どもの教会がどこへ進んで行くのか。創立の目標にどこまで近づくことができたのか。それを克服する手立てをもっているのか。その手立ては、すでに実行されているのかどうか・・・。

先週の読書会で確認しましたように、私どもは、「歴史形成の主体」です。歴史に積極的に参与しなければ、私どもは「被害者意識」に立てこもる危険性があります。教会が、歴史形成に参与する最大の仕方は、言うまでもなく、福音の宣教です。神の国の福音を証しすることこそが、私どもの固有の使命なのです。これを怠ったなら、この国と民に、「加害者」になるでしょう。使徒パウロのように、キリスト者、教会は、「返さなければならない負債」を負っています。もう一つのことは、教会自身が、キリストの主権に服する教会としての自己形成に励むことです。教会形成なしに、宣教することこそ、無責任でしょう。どこに導くのか、導くべき教会が、神の国を映し出す交わりの姿を現していなければ、宣教は空虚になります。それを弁えて、伝道するのが、日本キリスト改革派教会です。

★  わたしの参加の目的の一つは、「教会学校教案誌」の販売です。在庫分を、特別限定価格で販売します。大会開催委員会に、宣伝チラシを配布する許可を願いましたが、警備の関係上、不可となりました。それだけに、5階ホワイエに、「教会学校教案誌」販売コーナーを設け、粛々と、しかし声を出して、多くの会員に直接、呼びかけたいと思います。

☆  先週、他教派(アッセンブリー)の牧師からお電話をいただきました。「教会学校教案誌」の副読本の注文と、弊誌への謝辞でした。その先生は、創刊号から購読してくださり、しかも日曜学校の教案としてだけではなく、「子どもカテキズム」も教会全体でご利用くださり、教会員の教理教育を施して、実りを結んでおられるとのことでした。創刊時、小学低学年の子らも、中学生になり、まさに副読本(中高生のための教理入門)は、自分たちの必要にぴったりとのことでした。「教会学校教案誌」は、公の販売ルートにおろしていません。その意味で、他教派の購読者の熱意は、特筆すべきものがあります。私どもの教会がそうであったように、教理教育によって、堅固にして聖霊の力にあふれる教会形成が可能となることは、明らかです。木下牧師著の副読本や、子どもカテキズム、そして「教会学校教案誌」は、むしろ、他教派の方に喜ばれる・・・?のかもしれません。祈祷会では、ウエストミンスター信仰告白の学びが始まりました。まだ、ペースがつかめませんが、福音の全体像の把握を求めて進んでまいりましょう。先輩たちの信仰の遺産を継承できる喜びを。