過去の投稿2007年7月23日

7月22日

★  教会の庭に咲く、「アンネの薔薇」のことは既に、この欄にも記しました。この薔薇の苗木を、神港教会の岩崎先生にも差し上げました。先日、奥さまより、神港教会にも花が咲いたとのお便りを頂きました。何か、とても嬉しい気持ちです。平和の薔薇が、神戸の教会の庭先を飾る。会員方が、やがてその花の存在に気づき、名前を知るなら、もっと嬉しいことになります。あるいは、私どもの教会は、裏庭に植えられていますが、神戸の教会が、大通に面した場所に植えられ、道行く人にもそのオレンジ色の可憐な花が、アンネの薔薇であることに気づいて、平和の大切さと、先の大戦を起した人間の罪の巨大さを思うなら・・・、もっとすばらしいことでしょう。(岩崎先生から後日のメールで、教会外部掲示板の脇に咲いているとのこと!感謝!)

☆   先週は、台風4号によってキャンプが中止となりました。初めてのことです。主日の午後に、臨時の日曜学校教師会およびキャンプ委員会、そして伝道所委員会をもあわせて開き、次主日のデイキャンプの計画が確定しました。近くの滝の水緑地に参ります。わたしのときどき敢行する(?)、散歩のルートです。滝の水緑地を一周しながら、御言葉を黙想し、説教準備をしたこともあります。その場所で、キャンプのために準備していた「オリエンテーリング」をします。

★   日曜学校キャンプのためには、心と体と魂とを集中し、緊張を高めて臨みます。教師方、奉仕者はみなそうであろうと思います。それだけに、先週は、何か、しっくりこない気持ちで過ごしました。

☆   先週で、大学も前期は終わり、後は試験だけです。「キリスト教学」は、必修ですから、受講者が多く、顔と名前とを一致させることができませんでした。その意味では、昨年の「宗教学」の方が、牧師としての働きかけがより進めやすかったのだと改めて思わされました。しかし、15回の講義(2単位)で修了となります。逆に、キリスト教学は、後期も続けられる点は、利点です。生まれて初めてキリスト教、聖書に触れる学生たちがほとんどです。レポートなどを見ると、自分の先入観、考え方によって、「トンチンカン」な、「正反対」の聖書やイエスさまへの読み込みを見ます・・・。その一方で、驚くほど講義の正しい理解を示す学生もいます。中会内の主日礼拝式に出席した学生たちも50名をはるかに越えました。私どもの教会の一つの大きな使命として、彼らのために祈ることがあります。わたしのために祈る方は、必ず、金城学院大学の学生たちのためにも祈って頂けるわけです。聖霊の御働きによって「のみ」、信仰の眼が開かれることを知る私どもであれば、どうぞ、わたしの多端な働きのために祈る祈りのなかで、学生たちのためにもお祈りください。

★   先週、牧師室で、一人のキリスト者と共に祈りました。ある中学校の養護教員の方です。その方のお話を伺いながら、わたしの心は熱く燃えました。本当に、「心の居場所」を失い、さまざまなプレッシャーのなかで、死の誘惑にさらされる子どもたち、自分を理解し、かかわってもらうために、犯罪を犯してしまう子どもたち・・・。ここに記すこともできない、厳しい現実のなかに、思春期を向かえた子どもたちが置かれています。教会のディアコニアを考えさせられます。日曜学校をディアコニアの視点で問い直す・・・。昨年から、様々に記し、発言しています。しかし、現実には、地域の子達の出席減少傾向をとめられません・・・。どうしたら、問題や悩み、苦しみを一人で抱え込んでしまう彼らの隣人になれるのでしょうか。どうしたら中高科、小学科に、日曜学校に、教会に彼らを招けるのでしょうか。一人のキリスト者の教師が、涙を流して祈るとき、そして、その方のために、その方と共に私どももまた心を一つにして祈るとき、道が開かれ、なすべきことを示されるのではないかと信じます。私どもの教会員には、中学校のPTAの会長をしておられる仲間もおられます。わたしなどは、名義上の会長でしかありませんでしたが、先頭にたっておられます。

☆  次主日は、参議院選挙投票日です。わたしは毎回のように即日開票結果の報道に、悲しみと憤りとを重ねてまいりました。前回の郵政選挙による自民圧勝によって、来るべきときが近づいたと覚悟しました。教育基本法改定によって、遂に法的に、旧日本へと逆行する「橋」を渡ってしまいました。私どもは、教育基本法改悪に断食をもって、悔い改めと抵抗の意思表示をいたしました。今回は、まさに瀬戸際の瀬戸際です。安倍政権は、もともと、憲法改定をこそ最大の争点として戦う「はず」でした。主の正義と平和そして主権の確立のために、私どもは徹底して、「狭い門より入」りましょう。人々に受け入れられ、愛されるキリスト教会などではなく、徹底的にキリストの主権に服し、神に受け入れられ、喜ばれる道を選択するのです。私ども日本のキリスト教会の致命傷はまさにそこにあったのです。「迫害されたくないばかりに」福音を曲げた偽伝道者と使徒パウロは真っ向から対決しました。私どもの歩むべき道は、パウロの道以外にはありません。