過去の投稿2008年11月16日

11月16日

☆待降節(アドベント)が近づいてまいりました。降誕祭は、「おめでとう!」の挨拶から始まります。ローマの信徒への手紙で、「よろしく!」の挨拶を丁寧に学びました。あなたの上に、主の平和がありますように!あなたの上に神の祝福があります!と言う挨拶が、信仰によって告げられ、信仰の従順を「引き起こし」、信仰によって受け入れられたところには、必ず、出来事が起こります。神の平和はその人のものとなるのです。何人の友人知人、日曜学校の子達に、この挨拶を告げることができるでしょうか・・・。祈ります。

★三川栄二牧師の聖書日課は、今週から、「ローマの信徒への手紙」に入ります。祈祷会でもローマの信徒への手紙のおさらいをしています。「平和の福音」が全体の主題であると学び続けています。第16章を丁寧に学びながら、「平和」が主題なのだ、私どもの福音、神の福音とは平和の福音なのだと思わされます。この2ヶ月以上にわたって、説教題には、いつも平和が冠せられているのです。

☆人間は、根源的に、根本的に平和を希求している、追及してやまない存在であると先週の説教で申しました。それは、心もそうですが、しかし肉体までもそうであると表現しました。病とは、肉体の平和を失うことと申しました。バランスを崩す、そのとき、病に陥ります。

先週の朝の祈祷会で○○兄弟と共に祈りました。兄弟は、長く神を知らず、福音を知らずに過ごされました。しかし、2年前、キリストを信じ、救われました。その救いは鮮やかなものでした。仏壇すら不要であると、処分なさったのです。お祈りができるようになりました。わたしは二十歳のときに、洗礼を受けました。まったく新しいキリスト者の人生が始まりましたが、時に、古い自分が丸出しで、成長の鈍い者であることを、どれだけ恥じて来た事かと思います。そうであれば、○○兄は、わたしの何倍も神なき人生を歩まれてこられたのですから、キリストにある新しい歩みへと進むことは、容易ではない・・・そう思います。(しかし、例えば、○○姉のように、私どもの教会のなかで、年を重ねた中で洗礼を受けられた方のその後の成長は、目を見張ります。救いは、まさに神のみ業、聖霊のみ業であることの実証です。また、恵みに応えて生きようとの『志』の問題でもあります。)

 朝夕の祈祷会で、そして日々の祈りの中で、私どもには、新しい課題が与えられました。すべては、御手のなかにあります。「神を愛する者たち、つまり、御計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働くということを、わたしたちは知っています。」「では、これらのことについて何と言ったらよいだろうか。もし神がわたしたちの味方であるならば、だれがわたしたちに敵対できますか。わたしたちすべてのために、その御子をさえ惜しまず死に渡された方は、御子と一緒にすべてのものをわたしたちに賜らないはずがありましょうか。」 ローマの信徒への手紙第8章に記された、この約束のみ言葉、勝利の宣言に立って、執り成しの祈りを捧げたいと思います。

★先週は、鹿島史子氏の記念会を礼拝堂で執り行いました。その後、ご遺族の皆様の食事会に陪席させて頂きました。故人が、どれほど愛されていたのか、よく分かりました。また、何よりも強く印象を受けましたのは、「鹿島会」と呼ぶ、親族のつながりの深さです。キリスト者の祖父、祖母から始まり、5名の姉妹がそれぞれ、信仰を継承されました。100名ほどの親族が集まったこともあるとのこと。日本にも、3代、4代と続くキリスト者の家系は少なくありません。そして、日本伝道にとって、そのような継承がどれほど重要であるかを思わされます。「家の宗教は、キリスト教!」これは、丁寧に申し上げなければなりません。私どもは、ただ一人、神の御前に立つことを重んじます。それが、福音主義教会にとっての生命線です。信仰は、神との関係。つまり、他者に代わってもらうことはできません。しかし、それは、個人主義とはまったく違います。私どもは、教会という共同体に生き、これを形成する信仰に生きています。神の「民」なのです。しかし、そのことは、「信仰は独りでなすものであって、家族や家庭とは無関係だ」ということでは決してありません。たとい家族でただ独りのキリスト者であっても、キリスト者は、「我が家の宗教はキリスト教」との立場に立つのです。それを目指し、やがてそうなることを信じてよいし、信じるべきです。もとより、信仰を強制することは決してできませんし、してはなりません。信じさせることは、神様以外になすすべがありません。しかし、親(親権者)であれば、子どもに遠慮するべきではありません。子どもや後世へ何を遺すのか。最大の遺産、遺物は何でしょうか。それは、神の祝福、永遠の命、つまり信仰です。・・・孫が、キリスト者(信仰告白)になったそのときに、私ども夫婦の信仰継承に目処がついたことになるでしょう。