過去の投稿2010年1月11日

「ウサギとカメ」

CBCラジオキリストへの時間 「ウサギとカメ」
賛美歌 148番「救いの主は」・380番「立てよいざ立て」/「讃美歌」
聖 書 ヨハネ福音書第21章21‐22節    2008年9月 日(/録音)
「主よ、この人はどうなるのでしょうか。
・・・イエスは言われた。「~あなたは、わたしに従いなさい。」

おはようございます。今日は日曜日、主イエス・キリストが墓からお甦りになられた祝いの日、礼拝する日です。今、お読みいただいた御言葉は、ご復活された主イエスが弟子のペトロに改めて語られた御言葉です。ペトロは、イエスさまが十字架につけられようとするとき、「イエスなど知らない」と裏切ってしまった人です。しかし、お甦りになられた主イエスは、そのような弟子を徹底的に赦し、愛し、彼の心の傷を癒し、再び立ち上がらせてくださったのです。ところが、心機一転、もう一度従い始めたはずのペトロが、なんと、その直後に、同じ弟子仲間のヨハネのことが気になってしまいます。「主よ、この人はどうなるのでしょうか。」ヨハネとは、この福音書の著者その人です。本人の言葉で言えば「イエスの愛しておられた」人なのです。ペトロは、自分とヨハネとを比較して、こだわっているのです。

話は変わりますが、イソップ童話の中に「ウサギとカメ」のお話があります。   ウサギとカメが山頂を目指して競争するのですが、ウサギが負けてしまうお話です。「油断大敵!」という教訓のお話です。かつて中学校の運動会でPTA会長挨拶として、独自の解釈を施して、このようにお話をさせていただいたことがあります。

『何故、足の速いウサギは、負けてしまったのでしょうか。
それは、ウサギが亀ばかりを見ていたからです。    
それなら、何故、カメは勝つことが出来たのでしょうか。 
第一に、カメは、足が遅いという自分自身に負けなかったからです。
第二に、カメは、自分のベストを尽くしたからです。
最後に、カメは、ウサギを見ないで、ただゴールを見ていたからです。 
人と比べることよりも、自分の力を出し切ること。
これは、運動会だけではなく、人生のすべてにおいてもとても大切なことです。』

 さて、カメの生き方とはどのようなものでしょうか。それは、人間で言えば、   人と比べる生き方を止めて、自分自身を生きた、自分らしく生きたということです。しかしどうすれば、そんな夢のような生き方ができるのでしょうか。それは、ただ一つです。「ゴール」をきちんと見続けることによってもたらされるのです。

しかしそこで大問題に気づかされます。「人生のゴールとはどこか。人生の目的とは何か。」多くの人々が、分からないまま、既に走り始めてしまっているという問題です。レースや旅でなら決してありえない愚かであり、危険きわまりない事が、  人生においては行われてしまっているのであります。
神は聖書を通してこう仰います。「生きる意味、人生のゴールは、決して自分自身でつくり出すことができない。あなたを創造したわたしが教えるのだ。ゴールとはわたし自身であり、神を知ることが、人生に意味を与え、人生の目的なのだ。」

つまり、あのカメは、走り始めたその第一歩から、すでに勝利者として走っていたのです。人生の勝ち負けの結果は最後に分かるのではありません。ゴールを知っていれば、生かされている一瞬一瞬、毎日毎日が、勝利の連続となるのです。これこそ、神が与えてくださる本物の人生、キリスト者の人生なのです。
さて、あのペトロは、あらためて悟ります。「もう、誰かと比べて生きる必要はないのだ。必要なことはただ、イエスさまだけを見つめ、従うことだ!」それなら、あなた様は如何でしょうか。あなたは、人生の真のゴールを見つめておられますか。

人生のゴール、それは、神ご自身です。私どもをその命をかけて愛しておられる主イエスを知ること、信じること、従って生きること、これこそ人生の目的、ゴールであります。教会で、聖書を通して御言葉を学び、神を礼拝する生活のことです。その時、私どもはかけがえのない自分自身を本当に生きる人生を始められるのです。