過去の投稿2010年8月16日

「戦争責任を担い、平和を造り出す教会となるために」 ≪資料≫

資 料
※ (日本基督教会発行の教案誌「日曜学校の友」1940年11月3日の明治節の日の幼稚科の「おはなし」より)
「汽車、飛行機、電車、自動車。学校もお役所も郵便局も電気も。そして今のように強い国になったのです。明治天皇様が、こんなにさせてくださったのですね。だから、日本の国中の人が明治天皇様を、お父様のように思って、いつでもいつまでも、おしたい申し上げるのです。神様は日本の国が弱そうになったときに、こんなにお偉い天皇陛下を下さって、強い国にして護ってくださいました。私たちも強い子どもになって、天皇陛下によくお仕えして、ほんとに良い日本の国にいたしましょう。」

※ (1)「靖国の英霊」
日本基督教新報 1944年4月11日 日本基督教団発行
南海の涯に、大陸の奥に大君に命を捧げ奉った忠誠勇武の英霊二万五千を迎え祀る招魂の儀に、帝都は今厳粛の気をみなきらしている。
満開の桜はあたかも雄々しく護国の華と散った大和男の子の忠魂を讃えるが如く、はらはらと散り行くのである。宣長のあの名歌が今日此頃ほど実感として浮かびあがる時はない。昨年の大祭にも記者は宣長の歌に触れたが今年はひとしお実感胸に迫る気がするのである。戦いはいよいよ深酷化し、決戦につぐ決戦と厳しい戦いは展開される今日、国民の生活は捧げられた血によって護られているのである。感情何によって応うべきかを知らない。  

この血の尊さは英霊を神と祀る日本の伝統のみがよく知る所である。国に捧げられた血を尊しとする精神は他国にもあるであらう。記念碑を造り、道行く人は帽をとつて敬虔に誠を捧げるであろう。然しこの血に再興の意義を見、祭神と讃える精神は、我が日本をおいて外にはない。  

これは国民の内に、こうした血に高く深い意味を見出し得る国民性の優秀性をしめしていると同時に、否寧ろ尊い血を捧ぐる人々の尊い心ばえが、戦場に於いて他国人の知らぬ高さにまで昂揚して、国民をして跪拝せしめずんば止まぬ尊さを現しているからである。ひとたび大君のお召しにあずかった瞬間、この武人は啓示としてかしこみ御うけ申し上げる。この時からこの武人には、国に捧げつくす清く尊い血が生きる。武人の脈管に流るる血には新しい意義が生ずる。勿論この心は日本国民にすべて存在する伝統である。然し特にお召しにあずかった瞬間は、これを鮮やかに自覚した新しき時であり、宗教的新生にも比すべきものである。記者は幾度かかう云う不思議と思わるる程荘厳にして力にみちた新しき厳かな自覚の武人の前に、襟をただし頭をたれたのである。この様な態度から、この尊い殉国の血を靖国の英霊として祀る心がおこるのは当然である。かく護国の英霊には深酷な意義がある。この祭りの日が国民的大祭として国民皆厳粛な気にみちるのも当然である。尊い血の意義の深酷な意義の自覚こそ、我国の誇るべき一つであろう。  

基督教は血の意義を最も深く自覚した宗教である。殆ど唯一と云うてもいいかも知れない。即ちキリストの血こそ救拯の根元であるからである。ヘブル書の記者は「永遠の御霊により瑕なくして己を神に捧げ給ひしキリストの血は我らの良心を死にたる行為より潔めて活ける神に事へしめざらんや」(ヘブル書九、十四)と云い、血の意義を顕揚している。基督者はこの血の尊さに醒めさせられて新しくされたのであることはあらためて申すまでもない。  

血の意義の深さを伝統として有した初代日本基督者が、キリストの血の意義に初めて触れた時心躍ったのは当然である。キリストの血に潔められた日本基督者が、護国の英霊の血に深く心打たれるのは血の精神的意義に共通のものがあるからである。血の意義の深い自覚に共通なものが潜み湛へられているからである。  
其故、今、靖国の大祭を迎へ、我等日本基督者の血は、厳粛な感激と殉国の良心にたぎり立つのを禁じ得ない。自制も至難とする程の感激がほとばしり出るのを禁じ得ない。路上しばしば遺族章をつけた方々とゆきかい、見知らぬ人々ではあるが、思はず脱帽せずにはいられない。  

靖国の英霊を安んじる道は敵殲滅の一途あるのみである。一毫のすきなき誠忠の思いもて、与へられた立場から奉公してゆかねばならない。我々のたぎり立つ血のはけ道は、英霊の血と深く相通じている。

※ (2)「日本基督教団統理令達第14号」(1945年8月28日)
「聖断一度下り畏くも詔書の渙発となる。而してわが国民の進むべき道ここに定まれり。本教団の教師及び信徒はこの際聖旨を奉戴し国体護持の一念に徹し、愈々信仰に励み、総力を将来の国力再興に傾け、以て聖慮に応え奉らざるべからず。我らは先ず事茲に到りたるは畢竟我等の匪躯(匪躬?=「蹇蹇匪躬」=自分のことは後回しにして苦労を重ね、主人に尽くすこと)の誠足らず報告の力乏しきに因りしことを深刻に反省懺悔し、今後辿るべき荊棘の道を忍苦精進以て新日本の精神的基礎建設に貢献せんことを厳かに誓うべし。特に宗教報国を任すとする我等は先に留意し信徒の教導並びに一般国民の教化に万全を期すべし
 (福音理解が違う?)

一、承詔必謹  この際一切の私念を棄てて大詔を奉戴し飽くまで冷静、沈着秩序の維持に努め、以って皇国再建の活路を拓くべし

二、伝道の方針  時局の激変にも不拘、教団の組織体制は微動だにせざるを以って日本の伝道は日本人の手に依るの建前を堅持し一致団結、益々自給独立の本領に徹し、日本基督教の真価を発揚すべし 
(一ヶ月後、君子豹変!エキュメニズム?)

三、教会の振興  戦時中活動を阻害せられたる教会を振起し戦災教会の復興に努力し、之を国民の教化の大源たらしむるべし

四、信徒の激励  教師は牧会に専念し信徒及び国民を鼓舞激励して忍苦試練を通してのみ護らるる将来の希望を懐かしむべし

五、基督教教育  今後基督教教育機関を充実整備し国民品位の向上、道義心の醇化涵養に全力を傾注すべし 
(自分たちこそ品位、道義心・・・、良心の麻痺?)

六、教団の対外問題  戦後に於ける宣教師問題は複雑なる対外関係を蔵し慎重なる取扱いを要するものあるに付き各教師は個々に言動するを戒め万事教団の指示を俟つべし。」
(宣教師問題とは、援助【金】の問題か・・・)

※(3)「一五年戦争期の天皇制とキリスト教」
(富坂キリスト教センター編 2007年 新教出版社)

※ (4)「教団成立の沿革」
「たまたま宗教団体法の実施せられるに際し、1940(昭和15)年10月17日東京に開かれた全国信徒大会は、教会合同を宣言するに至った。これに基づいて30余派の福音主義教会が、翌1941(昭和16)年6月24日および25日の両日富士見町教会に開かれた創立総会において、次のような教義の大要のもとに合同を実現し、ここに本教団は成立したのである。」(1956年10月26日制定・1968年10月24日標題変更)
 棒線強調「たまたま」(!)

※ (5)「教憲」
「わが国における30余派の福音主義教会およびその他の伝統をもつ教会は、それぞれ分立して存在していたが、1941年(昭和16年)6月24日くすしき摂理のもとに御霊(みたま)のたもう一致によって、おのおのその歴史的特質を尊重しつつ聖なる公同教会の交わりに入るに至った。かくして成立したのが日本基督教団である。」(1946年10月16日 第4回教団総会制定)
  「くすしき摂理」

※ (6)「アジアのキリスト者から見る日本のキリスト教会」
日本キリスト教会のひとりの長老が、アジアのキリスト者と交わりをなしたとき、「今なお、あの悪名高き日本キリスト教会という教会がそのまま存在しているなんて!」と驚かれたと言う。もとより、戦前の最大教派であった「日本基督教会」は、日本キリスト教団に統合されて消滅。今ある、日本キリスト教会は、新しく出発した教会である。しかし、キリストの名のもとに韓国キリスト者たちに神社参拝を強要した教会が、少なくとも同じ名称で存在していることが彼らの大きな躓きになったと言う事実をどう受け止めるべきであろうか。そうであれば、「日本基督教団」の存続の意味をも、この視点で考えることは大切ではないか。この驚きと批判にこたえ得る教団の存立、形成が求められていよう。もとより、この課題は、ひとり教団、新日本キリスト教会のみならず、日本にあるすべてのキリストの教会への最大級の課題である。

※ (7)「神港教会 田中剛二牧師の教団離脱における教団への通知文」
「一、教団成立は日本にある教会の信仰的妥協であったことを確信すること(悔改のためには教団を解体すべきである。)

一、教団があった故に、日本の教会が迫害と弾圧より守られ、今日の宣教の自由を得ることができたのだといふ考えのまったく誤っていること (今日の伝道の不振は寧ろ迫害を回避して信仰的妥協をしたことに就    いて、日本の教会が徹底的悔改めをなさないことに起因すると確信する)。

一、私の教団脱退は私の悔改である。」

旧日本基督教会第54回大会において、宗教団体法下の教会合同に反対する少数者が、福音主義教会のしるしは、「聖書の規範性、救いの恩恵性、教会の自律性」を挙げ、合同に最後まで反対の意志表示を行ないました。彼らこそが後に、日本キリスト改革派教会を創立する少数者でありました。宗教団体法による教会統制が教会の自律性を損なうことを意味し、それが教会の存亡に関わるというセンスを持つ事ができたのは、彼らが、改革教会の伝統を継承しようと自覚していたからだと思います。勿論、これで彼らの戦争協力の罪をあいまいにすることはできません。日本キリスト改革派教会は、その点を「創立三十周年記念宣言」(教会と国家に関する信仰の宣言)を公にして、悔い改めの表明と致しました。※(8)

私ども日本キリスト改革派教会は、敗戦によって、教団を最も早く離脱して、新しい教会を創立致しました。もともとは、日本基督教会に属しておりましたわずか8教会、しかも200名ほどのまさに、小さな群れが集まって、新しい教会を創立致しました。日本キリスト改革派教会は、このような状況を、「我等は之を神の御前に恥ぢ」たと告白しました。これは、客観的、厳密に言えば、教会の戦争責任、罪責告白とまではならないという批判が、私どもの教会にあります。わたしも、その通りだと考えています。

ただ私個人は、「創立宣言」を、神港教会の牧師であった田中剛二牧師が教団を脱退するとき提出したこの文章の線で理解しています。また、そうすべきではないかとも考えております。わたしは、上記、田中先生の、悔改めに生きようとのこの志こそが、日本キリスト改革派教会の創立者たちの志であったのではないかと理解しております。少なくとも、先輩たちの戦いを継承すべき今日の私どもの志であらねばならないと強く考えております。

※ 日本キリスト改革派教会創立30周年記念宣言
「教会と国家にかんする信仰の宣言」(抜粋)(1976年4月28日)
一、教会と国家の主キリスト

(一) (主キリストの主権)
 主権的な創造者である聖なる三位一体の神は、あがない主イエス・キリストに、天においても地においてもいっさいの権威を授けて、御自身の支配を宣言し、神の国を樹立された。神は、イエス・キリストの死と復活と高挙とにより、万物をキリストの足の下に従わせ、彼を万物の上にかしらとして教会に与えられた。このかしらによって、神は万物を支配しておられる。

 われわれはイエス・キリストを、もろもろの王の王・主の主・国々の統治者また審判者として礼拝し、彼に服従する。

(二) (教会と国家の関係)
 主イエス・キリストは、父なる神のみこころを行なうにあたって、御自身のよしとする天地のあらゆる権能を用いられる。彼は教会と国家を、それぞれに固有の働きを委託して、御自身に仕えさせられる。彼は教会のかしらであると同時に、国家のかしらでもあられる。
 したがって、教会と国家は、ともにかしらなるキリストに従属し共同の責任を負うので、相互に密接な関係がある。
 教会と国家は、自己に託された権能と働きにしたがって相互に助け合う義務があるが、それぞれの権限は別個のものであり、キリストにたいする関係も異っているので、いずれも他方の領域を侵害することは許さ
れない。
 また、教会と国家の関係は、一国内に留まるものではなく、国際的な広がりをもつ。 

ニ、国家の権能とその限界
(一) (国家の権能)
 主キリストがその一般恩恵のうちに国家を立てておられるのは、国民の福祉を増進し不正を抑制するような立法・行政・司法において御自身に仕えさせるためであり、この目的のために彼は国家為政者を任命された。
 このように、国家為政者は、悪を行なう者を罰し善を行なう者を賞するための神のしもべであって、いたずらに剣をおびているのではない。