過去の投稿2011年2月21日

キリストにある生と死

先週は、お二人のご遺体と向き合いました。
「牧会通信」に記しています。
病床にて、「主イエス・キリスト アーメン。」とはっきりと告白された兄弟のお声、お顔を忘れることはないと思います。
人間は、まさに「この一言」を「言う」ために生まれてきたとすら思います。
今、肉体の生命が与えられているのは、この一言を「生きる」ために他なりません。
牧師も信徒も、このような救いの恵みを分かち与える責任と特権を与えられています。
私どもは、キリストを宿し、キリストの使命(説教では夢という表現も用いました)を果たすために存在しているのです。

教会は、今年、はじめて「家族伝道に集中する」と、目標を掲げました。
先々週の説教は、キリスト者とは聖霊が宿っていてくださる言わば、「イエスさまの我が家」だと学びました。
今週は、キリスト者とは、イエスさまの兄妹、父母、つまり「主イエスの家族」だと学びました。教会とはキリストのご支配下さるキリストの家庭なのです。

つくづく、講解説教を神が教会を形成する手段としておられるみわざにおののきつつ、感謝を深めます。

ホームページをご覧いただいたあなたがまだ、主イエス・キリストと結ばれていらっしゃらないのでしたら、どうぞ、私どもの教会へ急いで来て下さい。
共に、罪の赦しにあずかり神の恵みに満たされてまいりましょう。

私どもの教会は、「聖霊の力あふれる教会」を目指して、
今年も志を新たにして、新年度を始めています。

          Soli Deo Gloria!(ただ神の栄光のために! 栄光、神にのみあれ!)