過去の投稿2013年6月3日

6月2日

★   先週は、読書会でした。読書会は、名古屋岩の上伝道所において、月に一度の教会全員が教理を中心に教会形成に必須の知識を学ぶ場所、集会です。読書会という名称らしく、基本的には、書物(文書)を皆さんで読み、学びます。ただし、私どもの読書会は、ただ本を読むためだけの集会ではありません。私どもの教会がまさに直面する諸課題≪年間目標など≫についての学び、懇談するときでもあります。残念ながら今回の読書会も、出席者が固定しています。小さな教会です。少なくとも月に一度、第三主日には、皆さん全員が残って、教会を建てあげるための学びを受けましょう。

☆   教会設立において、私どもが願っていることは、教会役員が訓練を受けて、ふさわしい奉仕者となって頂くことです。しかもそれは結局、彼らが、現住陪餐会員全員の賜物、奉仕を束にして「ふさわしく」捧げるための訓練と言っても過言ではありません。主なる神とこの町の人々のために、ディアコニア(奉仕)に生きる教会として整えることを目指してなされるものです。貴重な集会を、大切にしてまいりましょう。

★   先週は、伝道について学び、懇談しました。先週の説教の結びの言葉。「今日の午後、定例の読書会があります。皆さんで伝道について学び、懇談します。本当に楽しみです。世界中のありとあらゆる仕事のなかで、伝道ほど重要で、楽しく、尊く、価値あるものはありません。私どもは、伝道する特権を与えられています。私どもは、こう告げることができるはずです。「確かに、あなたは自己中心という罪の檻の中に、入っていますね。神さまと離れた生活は、本当は不自由なのですよ。檻から外に出ましょう。もう、門は開かれたのですよ。よくわからなくても、わたしの後についてきてください。そうしたら、あなたも門が開かれていることを知るでしょう。」十字架の深い意味を、告げるのは後からでもよいかもしれません。何より、私ども自身が、開かれた新しい世界に生きる喜びと感謝にいよいよ確信をもって生きることが大切です。私どもは、まだ檻の中に閉じ込められている大勢の方々のただ一歩先を歩ませていただいたにすぎません。しかし、その一歩先が、永遠に決定的です。重要です。門はすでに、十字架によって開かれ、世界は新しくなっています。もう、古い罪の縄目にがんじがらめに縛られてはいないのです。もう、ほどかれています。その喜び、福音の喜びの報せを持って、私どもはこの教会の外にいる方々のよい隣人となりたいのです。」

    率直に申しますと、全員が、十字架の意味を説き明かす弟子となって欲しいです。(そのための説教テキストを、今まさに与えられています。)しかし、「わたしの後について来て下さい」と言える「人間関係」を築くことは、決定的に重要です。そのためにも、自分自身が、主の日を第一にし、教会の方を、神さまの方向をまっすぐに向いている生活を整えていることが大切です。私どもの関心が、主の栄光と隣人の救いに注がれること、これが、私ども主の弟子たちの祈りになると思います。

★   わたしの分団では、ひとりの兄弟が、「職場の机の上は、自分がキリスト者であることがすぐにわかるようになっている・・・」と証をしてくださいました。「こんなことを、言うと先生に叱られるかもしれませんが~」と伝道の証もしてくださいました。確かに、時間があれば、一つの行為については、学びの時が個人的に必要ともおもわされました(!?・・・)。しかし、兄弟が、主イエスを信じて、こんなに変えられた、幸いへと導かれたという喜びと確信によって、存在しておられることを心から嬉しく思いました。必ずや、選びの民との出会いへと導かれ、伝道とその実りの喜びをも味わわれることとなることを、信じる者です。

☆   また分団で、お寺で永代供養料を500万円とか1000万円求められ、支払う人がいらっしゃることも話題になりました。まさに私どもの周りには、「檻」の中に、「墓」の中に入っている隣人が大勢いらっしゃいます。しかし既に、神殿の幕は破られ、墓は開かれています。その事実を、伝えましょう。伝道の主体は、教会です。そして教会とは教会員のことです。つまり、伝道の主体は教会員ひとり一人です。
「羊が羊を生む」 伝道について繰り返し言われる有名な言葉です。反対に示されるのは、「羊飼いは、羊を生めない」ということでもあります。ただし牧師は、羊飼いであり、また羊でもあります。ですから、牧師もまた羊を生む務めを回避できません。むしろ、その模範者とならなければなりません。しかし、皆さまは、羊です。羊そのものです。生むことができる人とされていることを、信じましょう。共に、力を合わせ、励みましょう。わたしの拙い説教の言葉を、皆さまが伝道すべき愛する家族やお友達に「翻訳」(言いなおし)して下さい。「適用」(その人の現実にふさわしく当てはめて)してください。それこそが、説教聴聞者である皆さまの、一つのしかし大きな務め、責任だからです。