過去の投稿2005年3月25日

「あなたも神の国に入れる」

「あなたも神の国に入れる」

            ルカによる福音書第17章20節-37節(20-21節)

                      主の2004年11月14日

  「神の国はいつ来るのか」このようにファリサイ派の人々は主イエスに質問しました。当時のユダヤの国は、ローマ帝国の支配、圧制のもとに信仰の自由は著しく制限され、ユダヤの人々の神の民としてのプライドは踏みにじられていました。ですから、彼らは、自分たち神の民の国を樹立する力強い指導者、メシアつまり救い主が現われて、自分たちの苦しい生活に終止符を打ち、独立国家を地上に実現してくれるその日を、今か今かと待ち望んでいたのです。

  ところが、主イエスは、「神の国は、見える形では来ない。ここにある、あそこにあるとは言えないものである」「実に神の国はあなたがたの間にあるのだ」とこう宣言されました。つまり、彼らが予想し、待ち望んでいたような政治的な王国ではないということです。むしろ、その王国を樹立し、支配される王である救い主は、先ず、「多くの苦しみを受け、その時代の人々から排斥され、捨てられることになっている」と自らの生涯を予告されたのです。ユダヤの人々はびっくりしたと思います。彼らにすれば、そのような弱弱しい救い主、メシアなど受け入れられませんでした。ですから、主イエスは、予告されたまさにそのとおりに、彼らから排斥され、十字架の苦しみを受けられたのです。

  しかし、その後、この主イエスのみ言葉に促され、考え始め、やがて気づく者たちも起こされたのです。「ああそうだ、自分たちの真ん中にも既に神の国はあるのだ。それは、そのようにお話されたイエスさまを中心に囲んでいる自分たちの姿ではないか。自分たちの教会の姿ではないか」そうなのです。そのとおりです。神の国は、神の国の王である、主イエスが共におられる場所、主イエスが王として共におられる場所に他ならないのです。主イエス・キリストを王の王として、信じ従い始めている者たちの集いであるキリストの教会にあるのです。教会のなかで始まっているのです。しかし、その神の国は肉眼では見えませんし、信じにくいかもしれません。一つは、教会を作っている私どもの責任です。私どもキリスト者が、神のご意思に徹底して服従していないからです。しかし、神はなお、この罪深い、弱い教会を通して、この世界に神の国が地上に始まっていることを示しておられるのです。

  しかも、天に戻られた主イエス・キリストは再びこの地上に戻って来られ、神の国を地上に完成してくださるのです。これこそ、聖書のなかの未だ成就されていない最大の約束です。神の約束ですから、この神の国が完成される日が来ることも間違いありません。  

  いったい、この歴史の中で、いつまでも存続した国など一つでもあったでしょうか。そもそも、我々が地上で生きる人生には限りがあります。しかし、神の国はいつまでも変わりません。しかも、もしも私どもがその国の民としていただくことができれば、その国にいつまでも生きることができるのです。主イエスは、実にあなたをも、この神の国へと招いておられるのです。誰でも主イエスを心の中に、人生の中に迎え入れるなら、主キリストはあなたの王となってあなたの心の中に入城して下さいます。この神の国の王に支配して頂く生活こそ、自由であり、平安があります。永遠の命の望みに輝き、喜び溢れる人生が始まるのです。

  今、どうぞ、一言、わたしと共に祈りを捧げましょう。主イエス・キリストの父なる御神、私は今朝、あらためて私の心の中に主イエスを迎え入れます。あなたの教会の礼拝式に加わり、神の国に生きる手ごたえと喜びを味あわせて下さい。