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「今、どう生きるべきか」

「今、どう生きるべきか」 

               ルカによる福音書第20章27節-40節
                       主の2005年1月30日

  新しい年が始まり、早いもので1月最後の日曜日を迎えました。今年も、「キリストへの時間」をお聴きくださるあなた様の上に、父なる神と主イエス・キリストからの恵みと平和が、豊かにありますように。

  さて、あなたは、死んだ人間が体をもって復活するかどうか。死後の命というものが本当にあるのかどうか。どのようにお考えになられますか。
  ここにサドカイ派というユダヤ教の一グループが登場します。彼らの聖書の読み方によれば、復活などはあり得ないのです。それを証拠立てるために、旧約聖書の申命記の記事を引用します。そこには、夫が子どもをもうけずに死んでしまった場合は、夫の兄弟は彼女と結婚して子どもを産むようにと命じています。彼らは、この掟をたてにとって、議論をふっかけてこう言うのです。「あの世で、復活したなら、かつての夫たちも、未亡人本人も困りませんか、お互い喧嘩になってしまいませんか」。

  -これは、横道にそれてしまいますが、私は、この当時、未亡人となった者が一気に、社会的弱者の立場に突き落とされてしまうその不安定さを、神がどれほど深く配慮し、憐れんでおられるのか、ここに神の愛をまざまざと見せられる思いが致します-

  さて、そのような彼らに、主イエスはこのように反論なさいます。「結婚は、神が祝福の内に定められたこの地上の制度だが、それは、永遠に続く関係ではない。」さらに加えて主イエスはここで、旧約聖書出エジプト記の御言葉を用いて、死者が復活すること、また、生きておられる神が、今生きている人々はもちろん、既にこの地上を去った人、死んだ人々をもご支配くださっている現実をも明らかにして下さいました。
  
  ある人はこのように言います。「死んだら神とは関係なくなる」、そうではありません。死んだ人も神に覚えられているのです。アブラハムもイサクもヤコブもはるか昔に死んだ人達です。しかし、彼らもまた天と地と、生きとし生けるものを創り出された、神にはっきりと今も覚えられている、このように主イエスはお示しになられたのです。

  それなら、サドカイ派の人々、彼らだけではなく我々多くの現代人にも共通する決定的な問題、間違いはどこにあるのでしょうか。それは、今このとき、生きておられる神との正しい関係、生き生きとした関わりを持っていない、これに尽きます。だから、聖書が分からないし真の神の力も分からないのです。

  私どもは、死んだ後に、信仰の問題、永遠の問題、神の問題を考えては手遅れなのです。生きている今このとき、神を深く知ること、神との命の交流を与えていただくこと、これこそ、私どもの最も緊急な課題です。そして、今朝、生きておられる神を知ることができれば、「死んだ後は、どうなるこうなる」と言った細かな不安など、吹き飛んでしまいます。 

  私どもキリスト者は、「死んだらすばらしい世界が待っているのだから、この地上の生活にかかわらないで生きよう」と言って、今ある地上の人生を軽んじることも、あるいは反対に「死んだらそれでおしまい、今生きているうちにしたいことをした者勝ちだ」、などといわば自己流の宗教をこしらえてしまって、取り返しが付かない悲劇を身に招くことからも守られます。私どもは、主イエスのこの約束を信じて、復活の日を今か今かと待ち望み、希望をもって今このときを精一杯生きることができるのです。
  
  真の神を信じている人も信じていない人も、この神によって生かされている事実に変わりはありません。ですからどうぞ、あなたもこの一年、神によって生かされている自分であることを見失わずに、神との正しい、深い交わりを求めて生きて下さい。それは、この地上においでくださった、神の御子、主イエス・キリストを信じること、これに掛かっているのです。