過去の投稿2005年6月27日

6月26日

★  先週の多治見教会での礼拝式は、ジュネーブ詩篇歌を歌い、大変幸いでした。設置されているパイプオルガンは2000万円だそうです。昔は、ただ、「贅沢」の一言で片付けてしまったのですが、今では違います。天上の礼拝式を映し出すためなら、安い(超高額ですが!!)!?とすら思えます。 
多治見では、朝礼拝と夕礼拝での奉仕でしたが、夕礼拝で、朝の説教と関連させながら語れることは夕礼拝の醍醐味であると思います。
戻ってすぐ、この数年来ない出席者であったと聞き、正直、かなりこたえました。第四戒「安息日」を喜びとし、義務とする私どもの信仰は今更、申すまでもありません。先週は、偶然が重なってしまったのです・・・。

☆  先週の月曜日、夏のキャンプの下見に恵那、雀のお宿に参りました。近くの滝を視察しました。インターから25分です。これは、今年の目玉です。お宿は、昨年より、なお整備が整っているように思います。昨夏の奉仕の実りの鳥箱、長椅子、ペンキ塗りが光っていました。会員総出のつもりでご奉仕をと願います。

★  わたしは、これまで、「地べたをはいつくばるように」伝道してまいりました。将来にわたって深みのある奉仕のために、「今年こそは」と研修休暇の時間をと考えましたが、ままなりません。しかし、明日から、加藤常昭先生主催の「説教塾」による「説教セミナー」に出席します。昨年もこの時期に、出席させて頂きました。いつも、祈祷会や諸集会のために、抜け出ておりましたが、今年は、祈祷会、諸集会を欠席させていただきます。ただし、経済的なことも勘案して、「通い」とします。他の参加者は、かんづめになって良き研鑽を受けられますから、その点、なお課題がありますが、大きな進歩とも思います。
「説教塾」は、教派を超えて多くの牧師たちが集います。圧倒的に、加藤常昭という神学者、説教者の存在に負うものです。ただし、日本キリスト改革派教会の牧師たちの参加はむしろ少ないのです。東部では、ほとんど説教塾は無視されているようです・・・。私自身は、説教塾にかかわり始めて10年以上。先の臨時大会でひとりの長老が、説教塾に言及し、「牧師はどんどん参加すべきではないか」と発言されました。当該教会の牧師の説教が向上していることをまじかに見ているからでしょう。その点、わたしなどは、まだまだです。牧師の主要な務め、その研鑽の圧倒的な比重は、「説教」にあることは間違いありません。「説教」こそ、私どもの奉仕の要・中心なのです。また、私どもの教会の政治規準に、長老の職務の一つとして、「説教の結ぶ実を、注意深く見守ること。」が挙げられています。「結実」が真剣に問われます。説教の力が正しく発揮されるなら、かならずそこに堅実なキリストの主権に服する教会が形成されます。ですから、どうぞ、牧師の研鑽のために祈りを集めて下さい。

★  その一方で、私どもの開拓伝道とは、日本キリスト改革派教会をこの時代、この地に具現する、形成する開拓伝道以外のなにものでもありませんでした。私どもの教会をみれば、日本キリスト改革派教会の「力」がわかる、それこそが私どもの「開拓」の志です。しかし11年余りの歩み。伝道と実践の面から申しますと、なお「地べたを・・・」と思わされてしまいます。結局、研究休暇など、夢物語に終わるのかもしれません。
東部中会(CRC所属)の三郷伝道所の持田牧師から、伝道用のビデオを送って頂きました。これまで、 私どもが行ったことのない、伝道プログラムです。これまで、知ってはおりましたが「避けて」参りました。  けれども、一人の人を捉えるため、様々な試みを大胆になすことは、良いこと、なすべきことと思います。 もとより、委員の方々と、じっくり協議することが大切です・・・。

☆  先週も、「教案誌」の連載のために、多くの時間を費やしました。家内もパソコンと格闘し、しわ寄せが・・・。先週の教育委員会でも、すでに11月に行われる教師研修会の講演も担うこととなっているのにもかかわらず、9月の信徒研修会での分科会の発題も「させられる」はめになりました。祈りに覚えて下さい!

☆  祈祷会での学びは、「教会」、第3章に入りました。先週の夜の祈り会で、私たちの教会のことを加藤先生は仰った・・・などという間違った発言!も飛び出すほど、これまで毎回、マタイによる福音書第16章18節が引用されています。「岩の上」教会の名称がどれほど、すばらしいものか、改めて、かみ締めることができます。教会の学びを、今の名古屋岩の上伝道所でできることは、特別の感謝です。開拓初期であれば、ここに記されていることが「理想」「観念」のように思ってしまったかもしれません。しかし、今、ここに記されている事柄が、リアリティーをもって、学び取れるのです。その事を心から感謝しつつ、楽しい学びが続きます。