過去の投稿2005年8月7日

8月7日

★   先週の「カテキッズ」には、「契約の子」、教会員の子弟のほぼ全員、15名が出席できました。今回は、いつものように一対一で、お祈りする時間はとれませんでしたが、自分達の言葉で献金感謝祈祷をつくることを試みました。わたしが、彼らのために整えた献金祈祷文も、用いられて2年余りが過ぎました。いよいよ、自分たちの言葉で祈りを整えることにも、挑戦してもらいたいと思ってのことです。最初に、献金の感謝の祈りの内容について、すこし学び、さっそくつくりました。全員が、祈祷文を提出してもらい、みんなのまえで、一応、匿名で読みました。わたしじしん、どのような祈りがあらわれるか、とても興味深く、少々、どきどきしました。しかし、予想以上に!とてもすばらしいものでした。幼子のうちに、模範になる祈祷を繰り返すことの重要性をあらためて思わされました。今後の献金祈祷が楽しみです。全員に、返したはずですが、なぜか手元に、○○○○くんのものがありますので、ご紹介しましょう。 2年生の彼のすなおな祈りです。「相馬先生の・・・」には、泣けてきます!  「カテキッズ」できるなら、毎月持ちたい・・・!

      「天のお父さま きょうかいに げんきにこれてかんしゃします。 かぜをひいてもすぐなおって きょうかいにこれますようにしてください きょうかいにきて おいのりをやるのが はずかしくて やな人も なれて おいのりができますように。 きょうかいにいってない人もきょうかいにこれますように。 そうませんせいの おはなしをきけますように。 おともだちにしんせつにできるように。 きけんなことがないように。 このおいのりをいえすさまのおなまえによって アーメン。」  (原文のママ)

☆   受洗後数年経った方で、今も、添削を仰ぐ方もおられます。その必要は必ずしもありません。しかし、準備は必要です。人に聞かせるような祈りは、祈りの堕落であって、主イエスに斥けられます。しかし、祈りにおいての研鑽とよき礼拝式をつくるため誠実に準備することは、主イエスに求められているはずです。

☆   添削と言えば、次週は、いよいよ、○○委員の奨励奉仕。ご自身、初めての奉仕です。先週の水曜日、説教原稿を提出していただきました。それまで、祈祷会でも、「○○兄弟には信仰の【試練】になるかもしれません・・・。祈りを集めましょう。」と申しました。添削で、原稿が真っ赤になり、信仰の理解、福音理解の根幹まで、指導を受けることも、ありえるからです。しかし、まったくそうなりませんでした!私どもの教会では、説教免許を授与されていない信徒の説教を「奨励」と呼びます。しかし、奨励も説教です。説教でなければ、礼拝を成り立たせる神の言葉になりません。説教は、どこまでも「聖書の説き明かし」、「キリスト証言」でなければなりません。自己の経験談や感話を語って頂いては困るのです。その意味で、提出された原稿は、説教になっていました。すばらしい成長振りです!しかしそれでも、なお、この一週間のなかで、祈りを深め、説教の言葉が、さらに「自分の言葉」となる道を求める必要があります。みなさまの支えなしに説教を語ることはできないのです。なにより、自分の仲間の語る聖書の説き明かしを神の言葉として聴きとる信仰がなくては、あなたにとって説教になりません。しばしば語って参りました「説教は、教会の言葉、教会員全員でつくるもの」ということが、次主日こそ現実味を帯びるのではないでしょうか。

★   夏の休暇をいただき、次主日は、おそらく、日本キリスト教会東京告白教会に出席します。渡辺信夫先生の心血を注ぎ、育て、仕えてきた教会の実践を見たい、学びたいとの思いからです。「岩の上」も、まさにペトロの「信仰告白」にもとづく、名称なわけです。告白教会は、開拓の大先輩です。

★   休暇をとることだけは教会年間予定のなかにしっかり織り込んでいますが、先週まで、何の計画も立てることなく、目前の奉仕に追われておりました。そして休暇目前。行くあてもないのでした。しかし、今回、ひとりの長老の方のご配慮で、期せずして、避暑に出かけられるようにお世話を頂きました。感謝!

☆   先週の県庁での担当官と主管とのやりとりは、100分にも及びました。そもそも、「教会政治」は、私どもの言わば教義のなかに含まれるほどのものです。この世の法律に定められている、宗教団体の規則・運営方法(信者の総会に最終決定権を置くように定められています。)との間に、整合性を完全に持たせることは、不可能ではないかと思います。私が大学時代に習った宗教法人法の精神は、1999年に改正(改悪)された法律によって、その取り扱いに大きな相違を生じさせているのだとあらためて思わされました。しかし、なお本体である法律は、「信教(宗教活動)の自由」を保障するためのものであることには変わりはないはずです。担当官への誠実な対応と忍耐が私どもに求められています。