過去の投稿2005年9月25日

9月25日

☆   先週の中部中会信徒研修会は、実にすばらしい恵みのときとなりました。主題講演「地上を旅する神の民」は、小野静雄先生から、準備のノートを紛失されたと、事前に伺っておりました。講演を伺いながら、なるほどこれだけの広く深い射程をもった講演であれば、下調べのノートがなくなってしまったら、青ざめるのも無理からぬことであったとよくわかりました。今回の講演は、少なくともわたしが出席した過去7回のなかで、圧倒的に充実したものでした。まさに、今このときにこの講演を聴けたのは、神の摂理であるとすら思います。これは、速やかに、記録が配られる必要があると思います。実は、個人的に原稿をいただけることとなりましたから、来月の読書会から早速皆様とじっくり学びたいと思います。語られた項目一つ一つは、  丁寧に解説し、掘り下げて学ばなければならないものばかりだからです。教会の学びとは、「身につけ、生きる」こと、ここまでいたらなければ、なりません。(・・・本物の学習とは、そのようなことを言うはずです。)

★   「神の民」これは、私どもの教会にとっては、用いなれた聖書的な言葉です。「神の民の祈りの家を築こう」は、数年来の標語です。「神の民」は、旧約新約を貫いて、「教会」を指し示す言葉です。その意味で、 神の民は、歴史を正しく把握することに「長(た)けた」共同体であるはずです。そのような民がこの日本に存在すれば、現代日本の最大の課題(とわたしが考える)である、歴史認識について、教会こそが発言できるはずです。しかし、現実は、そうではありません。このことを、真剣に問われた講演でした。私自身も、実は、分科会で、「日曜学校の歴史と日曜学校像」でまったく重なる問題意識で発言、皆様と学びました。この講演録も、ぜひ、皆さんが丁寧に読んでくださることを心から期待しています。日曜学校の教師だけではなく、 皆様にお配りしたのはそのような願いからです。

☆   小野牧師の講演を聴きながら、本当に嬉しくなりました。中部中会や日本キリスト改革派教会の実力は、なお、この日本の諸教会に貢献できる水準を維持していると思ったからです。10月発行予定の「伝道新聞」(2万余枚)のなかで、あらためて「市民のみなさまへ!」(信仰告白にもとづく、政治的発言)を、この状況下で出すことは、このような学びの当然の帰結と確信しています。祈りを深めましょう。先生も、殉教、朱牧師に言及されました。今夏の私どもの学びはまさにそこに集中したものでした。この学びが、当伝道所だけではなく、中会規模で、なされたこと。どれほど、嬉しく思ったことでしょう。

★   高橋哲哉氏の「靖国問題」(ちくま新書)という書物、をついに読みました。これほどまでに、私どもの立場に近い議論、問題を提示してくださる、非キリスト者の哲学者の思索の力に脱帽でした。書店のコーナーでは、第2位とのことですが、この書物が、日本人にさらに読まれること、話題にされることを心から期待します。そこに記されている、日本の教会の戦争責任、教会が異端化した事実を多くの日本人が知ることも、わたしは、むしろ日本の教会にとって大切なことと信じます。わたしの分科会でも語りましたが、これほどまでの罪は、誰も犯しようがないものです・・・。それが、日本の教会の罪でした。驚かされたことは、最終章では、稲垣久和氏の議論を取り上げ、批判されています。稲垣氏は、日本キリスト改革派教会の信徒、優れた哲学者です。しかし、私の率直な思いは、高橋氏の議論こそ、現実的であり、本質を突いていると思います。このことは、稲垣氏だけの問題ではなく、日本キリスト改革派教会の姿勢をも鋭く、厳しくこの誠実な哲学者から問われることになるのではないか、とも考えます・・・。宣伝の帯には、「決定的論考!」とあります。わたしもうなずきます。○○委員も読んだ由。是非、皆様も・・・。

☆   祈祷会では、創世記第12章を読み、ごく短く説きました。直前まで、アブラハムの学びをしようと思ったのです。そこで、来週の祈祷会は、「教会」をお休みして、アブラハムを学ぶと予告いたしました。しかし、本日の礼拝説教で、学びます。今、ローマの信徒への手紙を説教していますが、皆様がアブラハム物語をよく知っていてくださることを前提としています。パウロの手紙もまた、読者が知っていることを前提にしたものです。その意味で、ローマの信徒への手紙の講解説教を形においては、中断いたしますが、内容においては、連続していると私自身は理解いたしております。奏楽者にはご迷惑をおかけします。また、看板に説教題を記してくださる委員には、毎度の事ながら、説教題の変更が激しく申し訳なく思います。       

★   アクラとプリスキラ。忘れがたいキリスト者夫妻です。信徒「職務」に召された皆様が各々、その職務に忠実に生きられますように!その為は、信徒の務めの「内容」とは何かを、学び続けることが必須です・・・。