過去の投稿2005年10月9日

10月9日

☆   今週火曜日から金曜日まで、第60回定期大会が埼玉県川越市にて開催されます。ほとんど一週間を、会議に費やすわけです。これは、機構改革委員会からの問題提起としても提出されていたかと思うのですが、なんとしても少なくとも、一日の短縮を実現していただきたいと考えます。一泊分の経費を軽減するだけで、全体教会からみれば、大変な節約になるでしょう。何よりも、牧師たちが各個教会を留守にすることなく、伝道が進展するのではないでしょうか。大会への出席は、率直に申しますと楽しいことではありません。しかし、全教師と長老議員が全国から集結するわけですから、実りある大会となるように、お祈りください。

★   先週の祈祷会の学びは、「賜物に生きる」でした。「キリスト者の倫理というのは、教会という具体的な場所を持っています。その教会において、自分に与えられた賜物を生かして、どのように『教会の務め』に生きるかということです。」すべての賜物は、オイコドメオー(ギリシャ語)=「教会を建てあげる」ために神が与えられたものです。「一人ひとりが、自分自身を生きる。同じ働きをする必要はない。」これを可能にするのは、教会がキリストの体であって、ひとり一人がその肢体、枝であるからです。長老、誰よりも牧師は、神の家の「管理者」、「監視者」、「監督」です。(政治基準第四十三条)牧師は、ひとり一人の賜物が、全体の益のために与えられている以上、お互いの個性が生きる、生かされるためにも、全体の益という方向性へと神の民一人ひとりを導かねばなりません。また、皆様も、今回の学びであらためてそのことを確認されたたことと信じます。皆で、教会に仕えるとき、思い上がることも、卑屈になることもなく、自分を正しく認識する謙遜の道へと導かれるのです。

★  今週も、「慰めの共同体」を建てあげるために、祈祷会を重んじてまいりましょう。アブラハムはアビメレク王のために、祈りました。自分の罪と失敗によって迷惑をかけた人のために、神は、アブラハムに祝福を祈るようにお命じになられました。私どももまた、決して自分たちが誇り高く、模範的に生きているから、人類の憧れを満たすほどのすばらしい共同体をすでに実現・完成させているから、世界のために、隣人の祝福のために祈れるわけではありません。ただ神が私どもをご自身の民として選び出し、祭司としての使命を与えていて下さるからです。私どもは、世界と隣人の為に祈ってよいのです。祈らなければならないのです。

☆  「伝道新聞」の秋号の発行のために、祈りを集めてください。「市民の皆様へ」は、憲法問題、とりわけ第9条や首相などの靖国参拝についての私どもの教会の姿勢を表明したいと思います。すでに、市民の立場から、「9条を守る会」などに日本キリスト改革派教会の牧師が個人的に参加したり、呼びかけ人になったりされる方も少なくありません。私自身は、これは、単に時間の関係の問題からですが、参与していません。何よりも大切なことは、教会として、信仰告白の角度から、憲法擁護と靖国問題を語る必要性と責任を覚えます。これこそ、日本にある全教会が取り組むべき緊急課題であると信じています。文章を皆様と確定する時間はおそらくとれません。しかし、どうぞ信仰告白としての抵抗、抗議を呼びかける言が与えられるように祈りを集めて下さい。先週、西部中会の「8・15平和集会」の講演録を著者より、頂きました。主題は、「信仰告白として国家を考える」。まさに、国家=政治問題は、信仰告白の問題、課題なのです。コピーするかして、同年代の袴田牧師(園田教会)の講演録を皆様にも読んでいただきたいと考えます。(土曜日夕刻、先生からメールで「テキスト」を頂きました。感謝!! 当伝道所だけで用います。冊子は200円・・・.残部僅か・・・)

★   はや、10月。伝道所委員会は、来月には、来年度の計画をしなければなりません。わたしは、今年度も、研究休暇をとることができませんでした。(ほとんど、確定的!)「教会学校教案誌」の連載執筆のために、きちんとした時間がほしいという願いもむなしく、走りながら、書いているという状況です。