過去の投稿2005年10月16日

「自分勝手な分別を捨てて」

 「自分勝手な分別を捨てて」
                 40代(自営業)  新海敬造
 
 最初に名古屋岩の上教会に、足を踏み入れたのは、2003年のクリスマスをひかえた主日礼拝式の日曜日。放送の取材のために訪れたのである。その時は、教会は、ただ仕事の対象でしかなかった。次の週、お礼をするために2度目の訪問。ところがまたその次の週も教会にいた・・。自分でも何故かは、わからない。自分の意志だけでないことは確かで、ただ不思議としか言い様がない。
  
 そして、気がつけば一年間、喜んで み言葉を聴き続け、教会の皆様とその恵みを分かち合っている自分がいた。そして2004年の降誕祭(クリスマス)の礼拝式で、洗礼を受けることができたのである。

 振り返ると、自分の人生は、虚飾で 固めた自己中心の生活であった。ゆえに自己嫌悪感にさいなまれてきた。自分を愛せないから、人を愛せないのである。自分勝手な「分別」にもとづいて、どれだけの人の愛を踏みにじってきたことか、傷つけてきたことか。物事を斜に見て、自分の弱さから逃げたり、隠してきたことか。

 このような、私などは教会へ行ってはいけないのだとの思いに揺れた。それでも、日曜日のたびに、教会の礼拝へと通い続けた。それは、聖書からの説教を通して、「あなたはそう思っているが、わたしがあなたを選んだのだ。だから、こうしてここにあなたがいるのだ」と神の招きを受けることができたからなのである。
 教会で、自分の本当の姿を知り、それを見つめることができるようになって来た。しかもそれだけではなく、神は、「心を尽くして主に信頼し、自分の分別には頼らず常に主を覚えてあなたの道を歩け。そうすれば主は あなたの道筋をまっすぐにしてくださる。」(聖書:箴言3章5-6節)という、み言葉をもって、このような罪深い生き方をしてきた私を、神は、主イエス・キリストの十字架の犠牲にゆえに赦し、「新しい人間」として造り変え続け、励まして下さる。なお、試行錯誤は続いている。しかし、神の確かな導きを受けて、教会の仲間たちとともにこれからも信仰の道をまっすぐに進んで行きたい。