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文字から声を聴き取る

「文字から聴こえて来る声を」 

2005年1月13日
金城学院大学朝のチャペル 8時45分~9時
        聖書朗読 詩篇第119篇103節
 讃美歌21 113番
日本キリスト改革派教会 名古屋岩の上伝道所 牧師 相馬伸郎

「あなたの仰せを味わえば、わたしの口に蜜よりも甘いことでしょう。」 

詩篇第119編は旧、新約聖書のなかで最も長い章として有名な箇所です。このまことに長い詩は、しかし唯一つの主題に情熱を注いで歌い上げて行くのです。その唯一つのこととは、神の御言葉、そのすばらしさについてです。 
詩人は、「あなたの仰せ」と申します。これは、神の語りかけのことであります。まことの神は、決して沈黙してはおられません。聖書の神は、常に私どもに向かって語りかけてくださる生けるお方であられます。神は、今、どのようにして語りかけていて下さるのでしょうか。それは、先ず、皆様が手にしている聖書の文字を通してであります。つまり、聖書を手にし、この礼拝堂に座っている皆様は今、この神の言葉の世界、すなわち救いの世界、神の御国の戸口に立っているのです。

皆さんは、大学で、先ず、「文字」を読むと言うことから、学問の初歩を学び始めるはずであるかと思います。英語でも日本語でも、専門書を読み始めるとき、要するに、文字を読み解く、解釈することを習い覚えるわけです。
さて、それなら一体、文字を読むとは、どういうことを意味する営みなのでしょうか。もともと言葉とは、話し言葉であり、語り、聴くためのものでした。文字とは、言わば言葉を保存するために生みだされたものなのです。ですから、文字を読むとは、書かれた文字の奥深くの声を聞き取るという営みのことなのです。文学、心理学、社会学、およそ人間の働きに関する学問であれば、その基本は、文字を読み取る技術、いや、文字の奥深くにある声をこそ聴き取る力が求められるのです。

私どもが手にしている、この黒い表紙の書物、人生の初心者にもすでに高齢者となっておられる方にも等しく有意義な書物、書物のなかの書物、ザ・ブックと呼ばれる聖書の中には、文字がびっしり印刷されています。聖書の著者は、およそ、40名ほどと考えられています。さまざまな立場の人々が、それぞれの時代の只中で、言葉を語り、記したわけです。しかも、私どもの教会の信仰から申しますと、その40名の人間たちは、それぞれが、神の霊感によって書いた、つまり、彼らは、ただ自分の主張をそこに記したということではなしに、神からの御言葉を聞き取って、神の言葉を書かせられたわけです。つまり、聖書の文字を読むとは、ただ単に人間の声を聴きとると言うことだけではなく、そのさらに奥深くにある神の御声を聞き取ることを意味するものなのです。

皆さんが、この学び舎で、このチャペルの時間のなかで、そのような聖書を真実に読む経験、神の御言葉とのまことの出会いへと導かれたらどんなにすばらしいことであろうかと思います。しかし、その神の御声を聴く場所として神が私どもに与えて下さった場所こそが教会なのです。神は、教会の説教を通して、その時代その時代に御自身の御心を明らかに示し、神の民と出会い続けて下さいます。神が神として生きておられる限り、神の御言葉はこの年もまた、教会を通して語られ、聴く者に出会って下さるのです。不思議なことにこの神の言葉自らが本当に聴く者を新しく作り出して下さるのです。神の言葉を聞くことのできる耳を開いてくださるのです。ですから、今年、皆様に心からお願いしお勧めしたいのです。教会に出席してください。そこで説教を聞き続けて下さい。

しかし、そこで前もって弁えていただきたいことがあります。二回か三回、説教を聞いて、それで理解できなかったとしてもすぐにがっかりして、諦めてしまわないでください。むしろ、簡単に分かることの方が危険であるとすら思った方が良いとすら思います。
たとえば、福音主義教会を新しく生み出すことになった教会改革者のマルチン・ルターのことを思います。彼は、聖書博士として、教会に奉仕する司祭でした。ところが、まさに聖書の専門家にまでなっていた彼は、聖書に記された「神の義」という言葉の意味が分かっていませんでした。そのことで苦しみ続けていました。彼は、神の義という言葉に恐怖心を持っていた、それどころか、神のこの言葉を憎んだとすら言うのです。ところが、その彼が「神の義」という神の御言葉の本当の意味を発見したとき、彼にとって聖書のすべての言葉が甘く感じられるようになったのです。「神の義」は、罪深い人間を断罪する正しさ、神の正義ではなく、むしろ、罪深い人間を赦し、つくりかえ、正しい人間としてしまう神の神らしい働きかけのことだと正しく理解できたからです。まさに、先ほどの詩人の言葉、「あなたの仰せを味わえば、わたしの口に蜜よりも甘いことでしょう。」この詩人の感動にルターもまた心の底から共感できたのです。そこに、神の御言葉をまことに聞き取ることができた人にのみ、見えてくる、聞こえてくる御言葉の甘さがあるのです。すばらしさがあるのです。
もしもルターがすぐに分からなくて、探求を諦めたり、まぁ深く考え過ぎるのはやめようと考えたら、教会の改革は起こりませんでしたし、そうなれば、この学び舎も存在しなかったはずです。

どうぞ、今年、文字の奥にある声を聴き取る研鑽、学びを深めて下さい。何よりも、すばらしい学びは、聖書の文字の奥深くの声を、神の御声を聴き取ることです。なぜなら、神の御言葉こそが人を生かす真理の言葉だからです。これこそ、キリスト教主義大学に学ぶことが許された皆さんのこれはまさに特権なのです。皆さんは今、この最高の祝福の戸口に立っているのです。どうぞ、この戸口の中に入って下さい。
そのとき、神の言葉が蜂蜜よりも、どんなおいしいスイーツよりも、甘くなり、嬉しくて仕方がないと、生きる力を受けることができるようになるのです。神との正しい関係を、神御自身があなたにお与え下さるのです。
神とわたしたちの主イエスを知ることによって、恵みと平和が、今年もこの学び舎の上に、教師たちと学生たちの上に豊かに与えられますように祈ります。

祈祷
 私どもに言葉の奥にある声を聴き取る耳をお与えください。人の言葉の奥にある声を、しかし何にも勝って神よ、あなたの聖書を通して語られるあなたの御声を聴き取る耳を開いて下さい。そして、私どもに、救いと自由とを与えて下さい。