過去の投稿2005年11月21日

11月20日

★   先週は、水曜日朝の祈祷会の時間を用いて、中部中会伝道委員会の犬山教会の井上二郎牧師と太田伝道所の村手淳牧師が委員会を代表して問安してくださいました。船田委員も朝に出席され、いつものメンバーの欠席もありましたが、15名の集会となりました。

☆  井上先生の詩篇の解説、奨励は、普段、詩篇を表面的なところからしか説くことがないわたしにとりまして、歴史的な背景を踏まえた解き明かしによって、御言葉がさらに迫ってきたと思います。問安の辞について、やはり憲法問題についてのご発言もありました。多くの方々がコメントの中で応答されたこと、これも思わぬ、わたしへの励ましとなりました。

★   村手先生の問安の辞は、後日、先生から文書でいただけるものと思います。「ことば」の上に立つ教会、「岩の上」に立つ教会こそ、改革派教会の基礎であること。これは、私どもには、まさに、いつもわたしから聴かされていることですし、日本キリスト改革派教会の教師たちの確信です。どの牧師も、その意味では、同じことを主張しているわけです。先生たちから見える私ども開拓伝道への過分の評価をもいただきました。外からの目で、私どもの教会がどのように見られているのかを知ることも大切なことでした。皆様も、私自身のこと、牧師の忙しさについてなどのこと、あらためて実感、客観的に認められたようでした。
    村手先生が、「この交わりを大切にしてください。サタンに壊されることが決してないように」とお勧めくださいました。そのために、教会外でもよくよく言われることであると思いますが、「ホウ・レン・ソウ」を心してくださいと教えてくださいました。わたしはこの言葉を紹介し、皆様にお願いしたことはなかったかのように思います。「報告」「連絡」「相談」です。牧師にどんな些細なことでも、牧会上のことであれば、「ホウ・レン・ソウ」が大切です。これこそ、教会に生き、教会を真実に慰めの共同体とするための基礎行為です。

☆  その後、井上先生と村手先生と懇談の時を・・・。牧師向けのご指導があるかもしれません・・・。ところが、ありませんでした。「何か、ありませんか。せっかくですから」と率直に申しましたが、ありませんでした。ただ、村手先生が同じ宣教教師の立場として、「開拓11年でのここまでの成長は、日本の現実からすればすごいこと・・、けれども、やはり伝道所ですね・・・」と仰いました。「伝道所」まったく同感でした。ご指摘を受けるまでもなく、と申しましょうか。まさにそのためにこそ、今年度の週報における祈りの課題の第一に掲げているのは「伝道所委員会」のことです。長老がいないということ、これが、決定的に教会の姿を決めます。わたしも村手先生も、別の伝道所で説教奉仕をするとき、それを常に感じるのです。井上先生も漆崎先生(金沢伝道所)が犬山教会で奉仕をした際、「教会は長老たちがおられて本当に違いますねぇ」と長老の存在によって、教会に安定感があることを会員に告げられたとお話くださいました。私どもは、村手先生に言われたように、「急ぐ」必要はありません。開拓(しかも長老とともに株分けして戦ってきたわけではありません。当初は自給開拓なのです)でここまで導かれたのですから、その意味では、これ以上勢力的?になることはむしろ村手先生の「心配」を増すのかもしれません。しかし、当事者である私自身、誰よりも、伝道所委員会、将来の長老と執事候補者の訓練に励まなければと、急ぐ気持ちを持つのです。ここに、名古屋岩の上伝道所の将来を決することとなると自覚しております。皆で、祈りましょう。そして、あなたも近い将来この「伝道所委員会」に志願するようにして、入ってくださいませんか!

★   おいしいお昼ご飯でした!これほど、豊かな楽しい、霊的な週日の昼食会は久しぶり!でした。ご奉仕くださいました方々の上に主の顧みがありますように。