過去の投稿2005年12月4日

12月4日

★  先週の主日の午後、「想定外」の事件が起こりました。まったく予想外の事件でした。3歳の男の子と2歳の女の子が、大人の足でも距離がある、2キロは離れている滝の水中央公園まで歩いて行ってしまったのでした。ほんの数分目を離した矢先のことです。1時間半、その場にいた皆で、必死に探しました。最初は、すぐに見つけられると考えていました。教会の周りを一巡して、「あぁ、牧師宅に入っていったのでは」と思いましたが、いませんでした。新聞紙上を騒がしている幼児への犯罪・・・のことが、脳裏をかすめ、それから青くなって探しました。45分後には、110番。しかし、遂に田川姉が、二人を見つけて下さいました。

☆  探し回った会員は、みな、心のなかで祈りながら、であったはずです。「もしかして・・・、そんなことはありえない・・・、神さまお願いします・・・」霊的に見れば、教会がしていることはまさにこのことではないでしょうか。失われた人、失われかかっている人を、必死に探している・・・。ここに神と罪人との類比があります。教会とはこのように、相互に牧会する慰めの共同体であるということです。また、囲いの外にいる選びの民に伝道する共同体であるということです。

★  彼らの何の屈託もない明るい顔をみて、自分が今ここで何をしているのか。その行為が、親やまわりの人にどのような影響を及ぼしているのか。おそらく100パーセントに近いくらい分からなかったと思います。(4歳くらいになれば、分かるでしょう・・・)しかし、そこで、○○姉が子ども達に叱ったとのことを伺いました。これは、とても大切なことであると思います。皆が、安堵して、何も言わなかったので、○○姉が二度としないようにとの思いで仰ってくださったのだと思います。牧会、伝道においても、神から離れている状況を、神から離れていると本人が自覚していない場合、教会はどうするのでしょうか。「わたしたちも皆、こういう者たちの中にいて、以前は肉の欲望の赴くままに生活し、肉や心の欲するままに行動していたのであり、ほかの人々と同じように、生まれながら神の怒りを受けるべき者でした。」(エフェソ2:5)しかし、聖霊によらなければ、イエスさまを主と告白することも、自分が神の怒りを受けていることも分からず、認めないのです。そこに、伝道の困難さ、人間の不可能性があります。だからこそ、祈りが求められるのです。

☆  先週の祈祷会の学びは、教会が神の家族であることを学びました。主イエス・キリストが臨在してくださる家、聖霊の宮、神殿であるのが教会です。主がともにおられるので、「主と一つに結ばれた私ども」はお互いを兄弟、姉妹とみなします。当伝道所ではそのように呼ぶこともあります。ところが雪ノ下教会は、そのように呼ぶことはしないのだと、どこかでうかがったように思います。どうして?との疑問も生じるでしょう。しかし、同時に、「きよい」交わりであることも強調されています。教会が神の家族であるということは、どのような意味なのでしょうか。私どもにも、それぞれ家族がおります。教会とは、「肉の家族」のような親しさで、交わりをなすところなのでしょうか。違います!その逆です。神の家族こそ、真実の家族のモデルとなるべきなのです。ここには、究極の、永遠の家族関係が与えられています。主イエスは、母マリアに、「婦人よ、御覧なさい。あなたの子です」と言われた。それから弟子に言われた。「見なさい。あなたの母です。」そのときから、この弟子はイエスの母を自分の家に引き取った。」(ヨハネ19:26)

☆   先週は、福音主義神学会の全国研究会議が名古屋YWCAで三日間開催され、120名ほどの参加者となりました。日本キリスト改革派教会からは、牧田先生が、組織神学の角度から、「霊性」について発題されました。日本キリスト改革派教会の教師は、神学校の市川先生の他、ほとんど出席していません・・・。その「気持ち」は充分に分かります。しかし、少なくとも、この神学会発足の背景には日本キリスト改革派教会の先輩たちが中心におられました。福音派の方々に改革神学の遺産を明らかにするためにも、もう少し、出席者がいてもよかったかと思います。牧田先生の後援は、皆様にもぜひ読んでいただきたいと思います。読書会で読むのも楽しいと思います。「対国家の問題を考慮しないような霊性理解は、少なくとも日本の教会にとって致命的欠陥を持つ・・・」この視点が福音主義神学会で充分に受け入れられたらと願います。

★  先週は、姉妹会の後、有志のご奉仕で、「教会学校教案誌」の発送作業をしていただきました。心から感謝申し上げます。今後とも、この奉仕を姉妹会の有志の方で担っていただければと思います。これは、中部中会、大会への奉仕を意味します。

☆  伝道の絶好の機会を迎えています。どうぞ、友人・知人に証、伝道しましょう。