過去の投稿2006年1月4日

1月1日

★  私どもは毎年、元旦礼拝を捧げません。しかし、今年は、主日と重なりました。新しい一年を、主の聖餐を祝うことからはじめることが許されますことは、私どもの特別の祝福です。今年も、主イエス・キリストと 一つに結ばれて、そのようにして志を一つにし、祈りと奉仕を束にして、教会形成の終わりなき歩み、天国を目指した信仰の旅路を、「神の民の祈りの家」とともに歩んでまいりましょう。そのために、聖書を毎日開き、毎日祈りを捧げて歩むことが基本です。そのために、聖書日課、聖書通読の助けを準備します。

☆  昨年末、伝道所委員会の決議のもと、祈祷会を欠席して、「上田神学ギムナジウム」に参りました。20名余りの者たちが、集まりました。日本キリスト教会の渡辺信夫牧師、登家勝也牧師の指導によって、神学生や若い教師たちが主題講演を聴き、互いに課題の聖書釈義を発表します。初めての出席となりました。  登家先生の開会の説教に深く頷き、また、渡辺先生の「何故、今、日本キリスト教会か」という講演に様々なことごとを考えさせられました。戦後の教会の歴史の中心で生きて来られた先生の言葉に重みがあります。

★  渡辺先生から、牧師の「学力不足」を何度も指摘されました。「目先の奉仕のためではなく、10年後に生きるような学び。」自らを鑑み、痛感させられます。前回も記しましたが、自分の務めの計り知れない重大さを思いますとき、やはり、今年、何としてでも、集中的に研究休暇をと、あらためて思わされました。

☆  わたしの歩みは、しばしば表現しますが、「地べたをはいつくばるような」奉仕を重ねてまいりました。ただしこれは、わたしの誇りでもあります。使徒パウロは、「誰よりも多く働いた」と申しました。(神の恵みによって今日のわたしがあるのです。そして、わたしに与えられた神の恵みは無駄にならず、わたしは他のすべての使徒よりずっと多く働きました。しかし、働いたのは、実はわたしではなく、わたしと共にある神の恵みなのです。 コリントの信徒への手紙一第15章15節) 

☆  振り返れば、今年の4月で、伝道者として18年間、主と教会に仕えてまいりました。最初の6年間も、開拓伝道でした。スーパーマーケットの2階を主日だけ借りての礼拝!そして伝道。91年には、教会堂の献堂。そして、94年から、言わずと知れた、名古屋岩の上伝道所の独立開拓伝道です。これまでの伝道者の生涯は、何の誇るところもありませんが、  しかし、厳しい試練を受けたこと、戦いの日々であったことだけは、わたしの誇りです。パウロの戦いを知り、聖書の世界を知らされたのです。それは、決して机上の神学ではありませんでした。

☆  ただし、「机上の神学」となどと簡単に言うことには、慎重であらねばと思います。御言葉そのものへの沈潜、2000年の先輩たちの伝統、とりわけ宗教(教会)改革者たちの神学的、霊的遺産を深く汲み取ることなしに、21世紀の教会を語ることなど、赦されてはいないのです!!自分の務め、牧師、伝道者、説教者として徹底して生き抜くことが、私を召して下さった神への忠誠、信仰です。説教者は神学者でなければ、この課題を担えません。渡辺先生のような突出した学者、説教者となることはできずとも、しかし、同じ召しを受けているのですから、忠実に生きなければと思わされました。

★  日本キリスト教会の課題の一つは、「人間形成」ということが、指摘されました。わたしも深く頷かされました。当伝道所の教会形成を、評価することは難しいのですが、しかし、少なくともこの12年間。主のすばらしい実りを見ることが出来ています。霊的に見るなら、「ここにキリストの教会がある!」と確信して主張することができると確信します。会員のキリスト者、人間としての成長にそれを見ることができます。信仰が与えられたから「今日の」あの人、この人がいると思わざるを得ないのです。信仰なしに、考えられないのです。信仰によって、自分が神のものであることをわきまえ、悟り、約束どおり、神の賜物を受けて、大きく開花させられてゆく・・・。そのために努力を怠らない・・・!。これが、キリスト者です。キリスト者は、大きな夢。神の夢を見るのです。そして、自分でも想像できないような大きな自分へと成長させられて行くのです。教会こそ、人間が「生きる」「生かされる」場所です。神中心の教会こそ、真実に、人間が重んじられ、神の人として生かされるのです。新しい年、わくわくします。主に従う人は必ず、主によって、主のために用いられてゆくのです。

☆  また同時に、主に従う人は、必ず苦難に会います。苦難に会わない、キリスト者?聖書を読めば、ありえないと信じます。キリストの苦難を担うこと。今年も、それが、お互いの信仰のしるしとなるのだと思います。一人で、苦難に遭うキリスト者もまたいません。皆で、苦難に会い、それぞれの十字架を担って進むのです。

★  そのために、共に、祈りましょう。祈られましょう。祈られることもきわめて重要です。祈祷会出席を年頭に改めて心しましょう。水曜日に「絶対」出席できない人のために・・・。毎年、考える、最大級の課題です。今現在、考えていることは、一週間、毎日の祈祷会を年に一、二度設けることです。さしあたり今年の受難週の一週間です。祈り会は、教会の交わり、形成の要。皆で、犠牲を払って、奉仕に、祈祷会出席に励んで参りましょう!