過去の投稿2006年4月2日

4月3日

★  先週の主日の夕べ、津ルーテル教会における、○○姉のご尊父の前夜式に列席させていただきました。私どもも、祈りのうちに覚えさせて頂きました。長く闘病された父君でしたが、主のみもとに召されました。いっとき、回復に向かっておられただけに、ご遺族の悲しみや寂しさはいかばかりかと思います。すばらしい前夜式でした。牧師の司式、説教などが葬儀をすばらしいものにするという側面は確かにあります。  
(そのために、やはり皆様には、ぜひ、葬儀アンケートをお出しください!経歴など簡略なものでまったくかまいません。葬儀は、教会でしてほしいということ。賛美歌、聖書だけでもかまいません。)

しかし、何よりも召された方の生涯が、まさに葬儀に反映することを、あらためて覚えさせられました。深い感動をもとに愛唱賛美歌を歌うことができました。「十字架の血にきよめぬれば、来よ、とのみ声を我は聴けり、主よ、我は今ぞ、行く、十字架の血にてきよめたまえ」これは、ラジオ放送「キリストへの時間」のテーマ曲でもあります。この十字架でながされた救い主イエス・キリストの御血のゆえに、今日の私どもの救いの恵み、この幸いがあります。おそらく、故人は、この賛美を心から歌い、感謝し続けられたゆえに、津ルーテル教会での役員としての奉仕はもとより、所属教団のための奉仕、超教派における奉仕(ギデオン協会=聖書贈呈運動)などにも、ご尽力なさったのだと思います。十字架の主への感謝、これは、ルター派の信仰のやはり真髄であろうと思います。その意味では、ルーテル教会の教会員の模範であったのであろうと思います。説教では、「主イエス・キリストを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われる」使徒言行録第16章31節が朗読されました。それは、故人の信仰が、まさにこの御言葉の実例となったからなのです。奥様とお二人のお子様、家族で洗礼を受けられるという恵みにあずかられたのです。良い葬儀、それは、よく信仰に生き抜いたからなされるものです。結局、地上をどう生きたかが反映させられるのです。

☆  本日は、日曜学校教師就任式を挙行いたします。05年年報に記載した「式辞」を掲載いたします。 

 式  辞  日曜学校教師は、宣教教師の監督と日曜学校校長の指導の下に日曜学校の働きを担います。日曜学校は、契約の子を信仰告白へと導き、地域の子らを羊の大牧者たる主イエス・キリストへと導くための教会の働きに他なりません。~礼拝指針第32条にこう記されていることを心に留めなければなりません。「教会学校の目的実現は、教師の人格と資格に大いに依存する。教師は、信仰歴、動機、人格、才能、教育的理想、キリスト者品性の向上と授業の熟練とへの熱心などにもとづいて、選任されなければならない。その働きのためには一定の訓練が要求され、またそれを受ける機会が備えられなければならない。教師はその召命を、神聖な、もっとも重要なものと確信して、毎週周到な準備をし、規律正しく勤め、学校の方針と他の教師たちとに誠実でなければならない。」

これを実現するために、自ら信仰の研鑽に努めなければなりません。また、日曜学校は教師の共同の働きによってのみよく担えることを弁え、日曜学校教師会を重んじ、共同的研鑽を受け、ともに互いのため生徒のために祈らねばなりません。
子らに信仰の良き模範を示すために、祈祷会などの諸集会を重んじ、真理の御霊の助けを祈り求めつつ、率先して奉仕に生きるべきであります。

誓  約   (  ・  ・  )あなたがたは、今、当伝道所の日曜学校教師に就任しようとしています。
あなたがたは、神と教会の前に、次の誓約をしなければなりません。    
  ① あなたは、旧・新約聖書が神のことばであり、信仰と生活の唯一の誤りなき基準であると信じますか。
  ② あなたは、私たちの教会の信仰規準を、聖書の真理を体系的に示すものとして誠実に受け入れますか。
  ③ あなたは、宣教教師の監督と日曜学校校長の指導の下にこの任務を果し、召命にふさわしい生活において福音の告白を飾り、子らの模範となるように努めることを誓約しますか。

当人  (ひとりひとり) 神と教会の前に、謹んで誓約いたします。
司式者 願わくは、この志と決心とを与えられた神が、これを成し遂げられる力をもお与え下さるように。

☆  開拓伝道第12周年を祝うことがゆるされました。今日までの一歩一歩の歩みの中に、教会の頭なる主イエス・キリストの恵み、父なる神の愛、聖霊の親しい交わりが豊かでありましたことを心の底から感謝いたします。これからも、私どもの教会がいよいよ健やかで、霊的な喜びに溢れ、キリストの主権に服し、慰めの共同体、使命に生きる教会となるように、祈りと奉仕を束にしてまいりましょう。皆様に感謝!主に感謝!