過去の投稿2006年4月26日

わたしたちの教会は、「憲法九条・二十条」に立ちます

わたしたちの教会は、「憲法九条・二十条」に立ちます。

わたしたちの教会は、9条(戦争の放棄)・第20条 (信教の自由)に固く立ちます!

今から60年前、天皇中心・国家神道のイデオロギーによって、戦争にまい進した「古い日本」 は敗れ、崩壊しました。その後、「国民主権・基本的人権の尊重・平和主義」にもとづく日本国 憲法の制定によって、国の内外に、「新しい国」として出発することを誓いました。そのとき、憲法 制定を心から喜んだのは、政府の過(あやま)ちによって戦争の加害者となり、被害者ともなった国民自身でした。

あれから60年、わたしたちの国は、一度も戦争によって他国の人はもちろん同胞の血も流すことがありませんでした。これは、ひとえに「第9条」のおかげです。

しかし世界は今、テロリズムにふるえおののいています。武力攻撃によってテロを制圧できるかのようにふるまう国もあります。しかし、武力で本当に解決できるのでしょうか。日本国憲法第9条の価値は、今こそ、まさに輝きを増すものです。日本の誇りであり、世界の宝です。

ところが今、政府・与党は、憲法改正の議論をいよいよ前面に浮上させてまいりました。その最大の狙いは、第9条の改悪、特に2項「国の交戦権はこれを認めない」を削除し、「自衛軍」を保持させることです。それは、「政府の行為によって再び戦争の惨禍(さんか)が起こることのないように 決意」(憲法前文)した憲法を破るばかりか、国際社会をあざむき、戦後日本の歩みを裏切り、めざすべき未来をも失わせることを意味します。

わたしたちの憲法は、「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員はこの憲法を擁護する義務を負う」(第99条)と 定めています。憲法を守り、率先して実現すべき首相・国会議員が、そのような政治を怠って、「暴走」しようとしています。これを止められるのは、主権者の私たち自身です。わたしたちを戦争から守ってきた憲法を、今こそ、まもり生かすように努めなければならないと考えます。
このような意味から、わたしたちの教会は、小泉首相の靖国神社参拝に抗議します!

① この神社が、戦争する国家体制の「宗教装置」として特別に作られたことは明らかで、平和を達成する目標  をかかげた憲法と対立するものだからです。

② 憲法第20条の「信教の自由・政教分離」への、公然とした挑戦となっているからです。

③ 国際平和を求める憲法の精神を裏切っています。事実、とりわけアジアの被害者の方々の心を傷つけ、憤ら  せ、友好を損なっています。

私どもの教会は、かつての戦争に協力した加害者としての罪責を担っています。その悔い改めと 反省に立って、二度と政府の過ちに協力することも、黙認することもできません。市民の皆さまとともに、平和を作り出すために、憲法第9条をまもり、20条を生かすために励んでまいりたいと願っております。

「平和の王」と呼ばれ、「まことの平和」を実現された 主イエス の言葉をお聴きください!

「平和を実現する人々は幸いである。」