過去の投稿2006年5月22日

5月21日

☆   本日は、ようこそ、私どもの教会にお越しくださいました!心から、歓迎いたします!

教会に初めてお越しくださった方がおられるなら、どれほど、うれしいことでしょうか。
なぜなら、私どもは、祈りながら、「あなた」をお待ちしていたからです。
あなた様は、神がお招きくださった方であると信じます。心からうれしく思います。
この場所は、あなたが来るべき場所です。こここそ、あなたの魂のふるさとのはずです。
誰一人として、神の愛の外にいる人間はいません。
あなたは、神に命を与えられ、神に守られ、神に支えられて、今日まで過ごして来られました。
しかし、残念なことに、それを知らずに、気づかずに過ごされたのではないでしょうか。
そのために、これまでの人生は、辛く、悲しいことも多かったのではないでしょうか。
それに負けてしまったことも多かったのではないでしょうか。
けれども、今日からは、大丈夫です。この教会で、あなたの救いのために人となられた主イエス・キリストにお会いできるからです。
教会は、私どもの、そしてあなたの救い主イエス・キリストがおられる神の家だからです。
すでに洗礼を受けている私どもは、神の家の家族です。そしてあなたもまた、この家へと招かれているのです。昨年、一昨年、3年前・・・洗礼を受けた仲間がおられます。少しだけ先輩のキリスト者も、初めは、どきどきしながら、礼拝式に出席されました。
どうぞ、一度、二度で終わらせず、説教を聴き続けてください。一度、二度聖書を開いて終わらせず、教会の仲間たちとともに聖書を読み続け、聴き続けてください。必ず、分かるようになります。主イエス・キリストの恵み、神の愛を、分からせていただけます。神が信仰を与えてくださるのです。

・・・分からないことは、隣の教会員にお尋ね下さい。牧師にお尋ね下さい。あなたが、「神さまは本当におられのだ。生きてきてよかった。人生は、喜びに満ちているのだ・・・」と、私どもと 一緒に歌い出してくださるまで、どうぞ、この礼拝式から離れないで下さい!あなたの「救い」のために、できることなら、なんでもさせていただきたい。これが、私どもの祈り、願いなのです。

☆  午後から、映画「塩狩峠」を観ます。三浦綾子さんの小説のなかでも、傑作と思います。わたしもまた、高校1年生のとき、小説を読みました。また、学校で映画も観ました。そのときの感動を忘れられません。30年ぶりに映画を観ることになります。明治時代のキリスト者の姿にも、心打たれます。昨年の5月の伝道月間は、灘教会の太田正紀長老による、三浦文学の講演会の恵みにあずかりましたが、今年は、なおその続きのような気もします。

☆  先週の夜の祈祷会は、家内が司会をして、「ウエストミンスター信仰告白」の第一章の三回目の学びをしました。質問を私に、そして、出席者にも!しながら、進めるという、初めての試みでした。いつも長くなってしまうので、短くできる・・・との狙いもあったようですが、逆でした!家内いわく、それでも、いつもより、出席者の学びの益になったと自画自賛・・・。ちょうど、「聖書論」を学び終えましたが、巷では、「ダビンチコード」という小説と映画が流行っているようです。朝の祈祷会でも、質問の中でこの話題がでました。先々週の夜の祈祷会では、「ユダの福音書」の話題もでました。聖書についての信仰をあらためて学ぶことができたなかで、タイムリーな話題でした。
 これも30年前のわたしの恥ですが・・・。高校一年生か二年生のとき、イエスは、宇宙人であるとのSF小説の文庫本を何冊も買って読み、「そうか、イエス・キリストは宇宙人で、だから奇跡を行えたのだ・・・。」と「得意」になって人に教えたことがあります。聖書についての基礎的知識、教養がどれほど重要であるかを思います。夜の出席者たちは、自分の言葉で、「聖書」について、どのように未信者の方に説明するのか、考えさせられました・・・。そして、聖書は、教会でこそ読み、聴き、理解できるものであることをあらためて確認することができたかと思います。だからこそ、お友達を礼拝式にお誘いするのです。