過去の投稿2006年7月24日

7月23日

★  先週のキャンプは、70名ほどのキャンパーと奉仕者で、三重県鈴鹿青少年センターに参りました。今回のキャンプの大きな特徴は、食事の準備がすべて施設に頼ることができたおかげで、食堂奉仕者の負担が激減し、それだけに、余裕をもって子どもたちと接することができたことです。青少年センターに行く前に、小さな川で立ち寄りました。子ども達にはちょうどのサイズで、安心して楽しめました。先週は各地で多雨の被害が出ましたが、私どものキャンプもまた、雨模様のなかでした。けれども、不思議に守られ過ごすことができました。二日目の「オリエンテーリング」はこのキャンプの「目玉」。あいにく雨が降っていましたが、最後のコーナーでは、一瞬、土砂降り模様になりましたが、子ども達はそれでも、十分に楽しんでいました。

☆  一泊二日は、あっという間です。しかし、これまでキャンプから帰ってから、ぐったり疲れてしまったというのが、私ども夫婦の経験でした。それが、今回は、余裕・・・。ひとえに、キャンプ委員会の周到なる準備のおかげでした。私どもが気遣うのは、ただ、子どもたちのことだけでした。このような積み重ねが伝道所から教会への歩みの明確な「しるし」となって行くと思います。

★  中高生が10名参加しました。高校1年生が6名です。その中でも、毎週休まず中高生礼拝に出席しているキャンプ暦10回にもなろうとする子ども達3人と話しあうときが与えられました。彼女たちは、高校受験の直前まで、主の日を休まず礼拝にあずかりました。本当はじっくり話しをしたかったのですが、公共施設という点で、限界があり、夜の10時30分で強制終了・・・。これはとても残念でした。この子達に、洗礼(信仰告白)について考えるようにと促しました。二人の親は未信者です。もしも、志願するなら、大変な風圧を受けることが予想されます。しかし、私どもの日曜学校の歴史、働きは、おそらくこの子らがどのように教会に繋がり、導かれるのかによって一つの評価を得ることができるでしょう。

わたしは、日曜学校の働きにおいて教会学校教案誌誌上で、講演会で、大会のレポートなどで、日曜学校は「種まき伝道にあらず」と訴え続けています。(9月10日は東部中会の研修会でも講演します)種まき伝道とは、種をまくだけで、刈り取らない、刈り取ることを考えない伝道という意味で用いています。私どもは、これまでも、こつこつと御言葉の種を地域の子らに蒔き続けます。そして、私どもは、それは必ず実ると信じて蒔くのです。いつか実る・・・。それは間違いではありません。しかし、自分たちの責任で実らせ、刈り取ることを祈り求めないのであれば、私どもの福音伝道は、自ら蒔いている福音、御言葉の力を自ら裏切り、弁えないで、なしていることになるのです。福音は、いのちの言葉です。救いの言葉です。子ども達にも届くのですし、必要なのですし、何よりも主イエス・キリストこそが、子ども達を呼び求めて止まないお方なのです。ですから、日曜学校は、伝道(福音の宣教)と牧会(魂への配慮)が織り成されて営まれます。深い牧会の次元がない日曜学校になってはならないのです。

☆  家内から聞いた話。帰りの車中。初めて福音に触れたわんぱくな男の子たちが、「うみとそら」「大きな船に乗って」などの賛美歌を楽しそうに歌っていたそうです。もっと神さまのことを知りたいとの思いがひしひしと感じられたとのこと。未信者のお子さんたちです。しかし、小学生の低学年では、驚くほど、素直に神さまや聖書に心を開きます。まさに、子ども達にこそ、福音は届けられるべきではないかと思わされます。 中高生、さらには大学生になって福音を聞くと、こうも素直な反応は見られなくなります。(実際、わたしのお話も、子ども達は真剣に聞いてくれるのです。大学生ではこうはいきません!)いわんや、福音を聞かないで大人になった人々は、「宗教」「キリスト教」へのおかしな先入観にこりかたまって、自分の罪のなかに閉じこもり「外」に出られなくなり、主イエスを信じることができにくくなります。今回も、教会の祈りを集めてのキャンプでした。これこそ、このキャンプの祝福の鍵です。これからも、地域の子らのために、日曜学校伝道のための祈りを集めましょう。また、秋には、小学生へのビラ配りなど、どうぞ、みんなで担いましょう。

★  イラクから自衛隊が撤収しました。双方に戦死者が出なかったことを喜びます。しかし、これによって、 安部官房長官は、日米同盟は「新しい対等の同盟関係」に入ったと自負して見せています。憲法9条をあからさまに破った(しかし有事法制によって骨抜きにされ、イラク特別措置法によって法律上、正当化されました)この暴挙が、我々日本人に、自衛隊の海外派兵を恒久法にする土台を据えてしまうこと、決定的に戦争できる国という、敗戦後の新しい日本の歴史を完全に転換させる既成事実とされていることを、私どもは見抜かなければなりません。8月読書会は、非キリスト者の哲学者、高橋哲哉氏の講演を読む予定です。