過去の投稿2006年8月27日

8月27日

☆  本日は、恒例の夏の読書会で、教会の戦争責任、戦後責任、平和の問題を学び、ともに懇談いたします。テキストは、すでにお配りした、高橋哲哉氏のものです。休暇中に、二冊の本を持ってゆきました。大木英夫先生の「新しい共同体の倫理学上・下」です。大木先生は、日本を代表する組織神学者であり、数少ない日本社会への評論活動をなさっておられる方です。この書物は、10年前に出版され購入し、読みました。しかし、改めて今の時期、再読しようと思ったのです。10年のときの流れの中で、憲法改正がこれほどまでに現実化することを、著者も考えておられなかったのです。その意味で、著者の日本への認識がなお、甘い部分があると言われるかもしれません。しかし、94年出版当時の世界と日本は、「9.11」後の変化によって大きく変わってしまいました。実は、今回も、読み通せませんでした。学術書ですから、知らない学者たちの名前が出て、それを丁寧に学ぼうとすれば、基本的な勉強をしなおさなければと思わされるほどです。休暇が終わりましたが、牧師として、この書物をきちんと読まなければと考えています。

★  先週、小さな本をネット購入しました。「キリスト者の戦争論」(岡山英雄(福音派牧師)・富岡幸一郎(雪ノ下教会長老・文芸評論家)です。両者の対談です。富岡氏が、靖国問題で独特な見解を持っていることを、最近知り、驚かされ、何とか昨年刊行されたサンケイ新聞社の「正論」所収の同氏の主張を読みたいと探していたところ、この新刊(8月)のニュースに接しました。キリスト者であっても、さまざまな意見が提出されます。当然のことです。東部中会の「まじわり」誌第8号にも、吉岡繁引退教師が「ヤスクニ-その伝道的課題」を投稿され、ご自分の論を公にし、今井教師は9月号で、同氏の主張に賛意を表されました。このような状況の中で、わたしもまた、すでに皆様にお配りしたように、発言しました。今こそ、制度的教会としてどのように、日本の状況を認識し、聖書と信仰告白に基づいて、行動することができるのか、です。読書会で。