過去の投稿2006年9月24日

9月24日

★  今年の中部中会の信徒研修会は、おそらくこれまででもっとも印象の強い集会となったかと思います。朱基徹牧師の殉教の証を目撃者であるご子息の朱光朝長老から伺うことができたからです。これは、神が今日の日本の社会、そこに遣わされている私どもの教会を顧みていてくださるしるしのように思います。また、それが中部中会で実現できたことに神のご意思を認めます。先週の朝夕の祈祷会は、出席者による報告、分かち合いのときを持ちました。あの証言を聞きっぱなしにすることは、朱基徹牧師を迫害した日本の教会と同じ罪と過ちを犯すこと、罪に罪を重ねることになると考えるからです。朝の祈祷会で、ある姉妹が「聴いたわたしたちには、責任が与えられているのではないか」と発言されました。

☆   「殉教」について教会で普通に語ることができる・・・。これは当たり前のことです。しかし、日本の教会はそれを避けて来たように思えます。とりわけ、韓国の殉教者たちのことは黙殺してきたのではないでしょうか。ドイツの殉教者たちのことは、しばしば取り上げられてきたのに、です。それは、明らかに、韓国の殉教者たちが、日本の教会の犠牲者であるからに他なりません。また、殉教全般に対して、消極的な空気があるように思います。これは、キリシタン弾圧のトラウマがあるからなのかもしれません。明治以来のプロテスタント伝道において、このトラウマを解消するためなのか、「キリスト教」は日本の「国体」に合わないとの批判に極度におびえ、国体にあうことを弁明することによってキリスト教伝道を定着させようとしてきたように思われます。しかし、そもそもキリスト教が日本の国体、天皇中心の神の国という、万世一系の絶対者たる、神たる天皇の統治に合致するはずかありません。そのようなキリスト教はそもそもキリスト教でもなんでもないはずです。そのことから、日本の伝道は、ボタンの掛け違いのようになってしまったのだと思います。そしてついには、天皇のため死ぬこと、天皇の赤子(せきし)であることを無上の幸いとし、国策である海外侵略の「お先棒」を担ぎ、戦争協力の罪、神社参拝(偶像礼拝)の罪を犯し、韓国の教会をも迫害して行ったわけです。未信者の哲学者が指摘されるように、「あまりにも惨めという他ない」、敗北そのものです。

★  私どもの開拓伝道の初期の標語は、「ここに神の教会を」でした。教会が神の教会であることは当然のことのはずです。しかし、あの当時の教会も神の教会と呼べるのでしょうか。それ以上に問わねばならないことがあります。今日もなおその姿勢を続けていると・・・。牧師としての歩みの中で痛切に知らされてまいりました。ですから、まことの教会の開拓・形成を目指したのです。そしてそれは、まさに、戦後いち早く教団を離脱した日本キリスト改革派教会の創立と重なるのです。それゆえ、私どもの加入は、必然であったのです。

☆   二日目に、○○長老がたんなる「紹介」ではなく、「奨励」をされました。わたしは大変に励まされました。このような集会が中部中会で開催されたこと、その意味で、神の導きであり、使命もあること。この問いかけを、日本キリスト改革派教会全体で共有するように働くこと、教派を超えても日本の教会の悔い改めと再出発のために今からでもはじめることです。

★   祈祷会で、「わたしは朱基徹牧師の後を行く牧師でありたい」と申しました。「名古屋岩の上教会は山の上にある町であり、朱牧師が仕えたサンジョンファン教会のように、長老、会員が一致して牧師を支えたような教会になるために励もう」とも申しました。もとより、今日、あのような殉教者を二度と出してはなりません。そのために政治の動きを鋭く監視し、預言者として生きることが求められます。悪法の制定は、キリスト者の脅威になるだけではなく、同胞と隣人諸国の脅威に直結するからです。この悪法の制定、改正の阻止のためにできる限りのことをしなければならないと思います。
(20日。東京地裁が都教育委員会の日の丸・君が代強制に違憲判決!。敗訴を覚悟していただけに・・・。久しぶりにまたうれしい判決です。感謝。)

☆  「万一のとき、わたしはここに残ってキリストの主権の確立のために、御言葉を証するために戦いたい。しかし、皆さんは、亡命することが大切です」と申しました。つまり、死に急ぐようなことは、避けなければならないのです。殉教を誇ることは、聖書的ではありません。しかし、また、今日の説教でも、同じメッセージを語りますが、私どもは大胆にこう信じてよいのです。神がお望みなら、私どもも殉教できるのです。