過去の投稿2006年9月28日

平和を実現するキリスト者ネット ニュースレター06年9月掲載原稿

「信仰告白の戦いを担う制度的教会の形成を」
     
 私ども日本キリスト改革派教会中部中会は、06年度第一回臨時会(7月)において、「中部中会は憲法9条(戦争放棄)と20条(信教の自由)に立つ」事を大多数可決で決議いたしました。       

 私どもの教会は、戦後いち早く、日本基督教団を離脱し、信仰告白と長老主義政治とキリスト者としての告白にふさわしい生活をもって、一つの目に見える教会、キリストの主権に服する公同の教会を地上に実現するべく立ち上がりました。確かに、これを実現させてくださったのは、教会の頭なる主イエス・キリストと父なる神に他なりません。しかし、歴史的には、敗戦の現実でした。その後の60年の歩みもまた、法制上は、敗戦によってもたらされた日本国憲法によって守られたものでした。

 しかし、考えてみれば、日本の教会は、これらの恩恵を享受する資格はないのではないでしょうか。なぜなら、日本の教会は、戦争の責任、負い目を有するからです。私どもはかつて、天皇を絶対の神とする国家神道(これは、日本の歴史にも、神道の歴史にもなかった、言わば新興宗教=創唱宗教であり、擬似キリスト教と言えると思います。)に屈服しました。国家の戦争遂行に協力し、自ら神社参拝を行ったばかりか、韓国の教会にも強制しました。そのようにして自らの制度的教会を存続させることを第一義に追求した結果、異端化したとすら言うべき、最大級の罪を犯しました。日本にある教会は、この戦争責任と戦後の責任を自ら問うことなしに、神と人との前に責任ある教会形成をなすことは不可能と考えます。
 
 今や、政府は、改憲によって、再び戦争を行うことのできる国家体制を完成しようと、その最後の階段を登ろうとしています。この状況を、提案者の「世と教会に関する委員会」と決議した「中部中会」は、「教会の」信仰的課題(信仰告白的事態)として捉えました。教会の姿勢を鮮明にし、抗議、抵抗することの第一歩を踏んだのです。

 もとより、教会は政治団体ではありません。9条や有事法制の問題など政治的判断にかんする意見を集約することは困難であり、教会を混乱させる恐れがあります。しかし、もしも、一般恩恵として与えられた国家、法律が神の歴史支配のあり方に抵触しようとするのであれば、教会は御言葉に基づいて、これをいさめ、警告し、進むべき道を示さなければなりません。たとい外から、それだけでなく内からも、どれほど厳しい教会形成の戦いを強いられることになっても、この務めを避けて通ることは許されないのではないでしょうか。今回の私どもの「教会決議」は、制度的教会の形成を、神から与えられた日本の教会の宿題と考える私どもであれば、当然のことであるかもしれません。
 
 因みに、私どもの伝道所は、94年の開拓以来、「岩の上に建つ」(マタイ7:24)教会たることを志してまいりました。その為の一つの、しかし欠かせない学びとして日本の教会の戦争責任を考え続けることを自らに課してまいりました。10年後、地域教会として上記の立場を鮮明にした呼びかけを『伝道』新聞(2万5千部)に記載し、複数回配りました。
 
 主イエスは、「あなたがたは世の光である」(マタイ5:14)と、「教会」を隠れることのできない「山の上にある町」とされました。私どもの課題は、現在の状況を、信仰告白にかかわる事態として捉えること。何よりも、「教会共同体として」戦う足腰を鍛え、実践することではないでしょうか。各個教会として全体教会(教団)として、さらに超教派的にも教会的戦いをなしてまいりたく願います。