過去の投稿2006年12月3日

12月3日

★  先々週は、東京代々木で、説教塾シンポジウムが開催されました。主題は「オイコドメオー(教会形成)としての説教」でした。私どもの説教の主目的とは、まさにそこにあります。シンポジウムの中核は、クリスチアン・メラー教授(ドイツ、ルター派)、ヘルリット・イミンク教授(オランダ、改革派)、チャールズ・キャンベル教授(アメリカ、長老派)の講演でした。メラー先生や、イミンク先生は、すでに日本に紹介されている方です。イミンク先生は、今回の来日で神戸改革派神学校の説教学のクラスで神学生たちにすばらしい講義(ワークショップ)をなされたことを牧田校長から伺いました。わたしにとって何より嬉しかったのは、キャンベル氏の講演でした。これまでの説教塾には、「異質」の言葉が語られました。

☆  しかし、何よりも、わたしにとってすばらしかったのは、牧田吉和校長の短いながら、鋭い発題でした。 以下、「日本の教会における終末論的説教の課題」の原稿から抜粋してご紹介いたします。「説教病理学的に言えば、日本の教会の説教は神の御業を局所化した方向に向かう傾向を持っています。説教は、個人主義的な、しかも内面に精神化された信仰的形態における励ましや慰めに向かう強い傾向を持ちます。説教が、教会論的に方向付けられた場合でさへ、内向きの教会中心主義的局所化が起こっているでしょう。~ 神の支配する歴史や世界そのものへの関心は説教の主題としては多くはないはずです。~この意味における社会的倫理的・政治的側面のメッセージ性が弱いように思われます。この問題性は、特に今日の日本の右傾化の状況を考えるとき、決して看過できないはずです。」まったくその通りです。この発言によって、私自身の発言の必要性はもはやなくなりました。

★  改革派の神学の特徴の一つは「聖霊」の強調です。そこから当然、キリスト者の聖化の歩み、善き生活への歩みが真剣に追い求められます。しかもこの聖霊は、単に、一人の人間の内面の課題にのみ集中させません。聖霊は創造者であられ、世界を支配し、完成へと導かれるお方だからです。そうであれば、国家、政治の悪魔性を見抜くことも聖霊を受けた者の「しるし」となります。もとより、聖霊に導かれている者は、「肉の仕業を絶ち」「アッバ父よ」と呼ばせてくださいますが、それにとどまらず、今日の説教でも語られる、主イエス・キリストとともに苦難を受ける道へと進み行かせるのです。聖霊を受けて、「イエスは主」と告白することは、地上にあっては極めて政治的な告白(発言)とならざるを得ません。悪魔的権力者は、自らを主としたいのです。ですから、歴史上、しばしば、キリスト者は苦難、迫害の道へと進み行くことになります。「聖霊の力あふれる教会の形成」言うまでもなく、「創立20周年宣言」の言葉であって、私どもの教会の目標です。そのような教会は、「イエスは主」といかなるときも告白する教会として、社会のなかで立つのです。 聖霊は、教会を深く歴史と世界へのかかわりへと導いてくださいます。

☆  先週の読書会の小塩長老の講演原稿「ディアコニアとしての靖国問題」は、実に重みのある内容でした。韓国高神派の教会の自己批判、罪責告白の鋭さの前に、たじろぎすら覚えました。高神派は、自分たちの出自を、あの殉教者朱基徹牧師を生んだことで、誇りにしてもよいはずではないかと思います。ところが、 神社参拝に制度的教会としては、妥協してしまったことを、厳しく糾弾し、悔い改めの徹底を自らに課しておられます。そうであれば、まさに加害者としての私どもの教会こそが厳しく問われるはずですし、問い続けなければなりません。小塩長老が、靖国問題を教会のディアコニアの課題として捉えておられることは、なんとすばらしいことであるかと思います。私どもは、先月の全体研修会で学んだ学びを、これからも地道に継続することが大切です。

★  読書会の後、姉妹会の有志で、○○姉を訪問されたと伺いました。実に、嬉しいことでした。主の日、  それは、神が豊かに働かれる日です。教会も、キリスト者もこの日、神の御業に参与します。教会がディアコニアを学び、すこしずつ実践へと導かれるなら、その学びは本物である証拠です。

☆  読書会で、キャンベル牧師の説教の例話を紹介しました。アメリカのある町で、婦人牧師が、ゴミ箱に鍵をしてあったことに、憤りを覚えられたのです。ホームレスの方への配慮がないことへの憤りです。それは、ルツ記の「落穂ひろい」物語の発想です。神は、社会的弱者を重んじることを命じておられます。ディアコニアのまなざしは、このようなまなざしです。靖国の課題も、そのような弱者と共に生きる課題を担うことです。

★  家内の神学校時代の友人がアメリカから・・・、初めて会堂を見て、「すごいねぇ、よかったねぇ」を連発。ビルでの開拓を知っておられる方の、率直な感想です。執筆している土曜日の今、会堂は、連合青年、中高生会のクリスマス会の賛美や笑い声で賑わっています。