過去の投稿2007年3月25日

3月25日

★   先週は、西部中会「伝道と教会形成研究所」主催の第七回研修会の奉仕のために、大阪の園田教会に伺いました。いつもは、30~40名の出席とのことでしたが、今回は、66名の出席者とのことでした。  わたしの講演主題は、「開拓伝道、教会形成と日曜学校」としました。これまでは、毎回、二人の講師を招かれていたそうですが、今回は、わたしの他に、女子神学校1年生の提言と高校2年生の契約の子のインタビューがありました。そのような集会だから出席者が多かったのか、主題に関心が高かったのか。いずれにしろ、少しでも日曜学校・青少年伝道への神からの強い促しを受け止めてくだされば、感謝です。

☆   四国、東部、そして西部と、日曜学校についての講演をしてまいりましたが、他中会の方々との出会いは、新鮮です。それは、聴衆がわたしを新鮮に受け止めてくださるからです。名古屋岩の上伝道所とわたしが日本キリスト改革派教会に同時に加入したことを始めて知った方もおられるくらいに、他中会には、届いていないのでしょう。それは同時に、皆様も、他中会の情報、他教会、牧師の情報をどれだけご存知であるのか・・・。「大会時報」が届いています。丁寧に、お読み下さい。

★   昼食をいただきながら、懇談、質疑のときがありました。ひとりの長老-西部では一番、日曜学校出席者が多い教会とのこと-が、これまでの長い奉仕を振り返って、「地域から来る子の中で一人も受洗者がいなかった・・・」と述懐されました。「講演を聴いて、牧師が、日曜学校に積極的に関わるべきである、考えさせられた。」とも仰いました。極めて重い言葉として今もなお、心に反芻しています。もとより、その長老一人の悲しみ、自責にしていてはならないのです。教師会の課題であり、ひいては教会全体の課題です。そして、これを皆で担うべきです。何よりも、その最前線に、牧師がいるべきことは、当然過ぎることです。

☆   ある長老-日曜学校に関わっておられない方と思います-が、「先生のところは、何人も、日曜学校から受洗者が起こっているのですか」とのご質問。「・・・・」。しかし、今、遂に、一人の高校生と学び会が始まっていることだけご報告しました。私どもも遂に!です。しかし、ここまで10年余りがかかったのです。私どもの日曜学校伝道が、福音に即して営まれるなら、必ず、「実る」そのことを、あらためて信じたいと思います。これは、教師方だけの責任ではなく、繰り返しますが、教会を挙げての営みなのです。

★   先週の、「日曜学校教師会」で、新年度の担任奉仕の体制が決定しました。また、4月から、中高生礼拝を8時30分から。幼小学生礼拝を9時から、それぞれ、15分繰り上げて開始することを決議しました。-ただし、法的には、4月の伝道所委員会での決議が必要です。-これによって、礼拝式前のあわただしさが緩和されると思います。分級の時間も、「少ない時間のなかで、しなければ」という切迫感も、幾分、緩和されるかと思います。私どもの危機意識は、地域の子達が、減少しているということです。「ディアコニアとしての日曜学校伝道」を考え、「お絵かき教室」も開催されます。どうぞ、教会の祈りをなお集めましょう。

☆  先週の夜の祈祷会に、○○姉が伝道し、○○伝道所に通い始めておられる姉妹が出席してくださいました。少しだけ、お話を伺いました。どれほど嬉しく、御名を崇め、感謝したことでしょう。私どものホームページの「説教」や、この通信も読んで下さっているとのことでした。求道からなお短かい間に、御言葉を理解され、喜んでおられるのです。現在、長老とウエストミンスター小教理問答を学んでおられ、「有効召命」(むつかしい言葉!)を学んだばかりとのことでした。お話を伺いながらまさに、「有効召命」された方であると信じることができました。それにしても、長老による開拓伝道とは、しかも、選びの民がそこへと送られ、しかも、きちんと教理教育をなしながら、救いへと導くことができるとは、長老職の重さとすばらしさを思わざるを得ません。私どもまた、この姉妹の信仰告白、洗礼入会の日を祈り待ちたいと思います。

★   祈祷会では、先週の説教をもう一度、味わい直しました。分かちあいにおいて、多くの方が「命」について言及されました。「生・命」の攻撃、誘惑との戦いのリアリティーは、確かだからでしょう。就職、結婚、子ども・・・、「命」において、キリストにおいて示された神の愛から引き離される経験を誰しも覚えさせられているのです。ただ、説教者としては、それが主題であるのではないのです。説教は、語られたそのときの「勝負」です。しかし、毎回、印刷配布する原稿から、もう一度説教する、学ぶことによって、御言葉にいよいよ「説得される」経験もまた、悪くないと思います。そのためにも、繰り返し読むに耐える説教を、目ざし続けたいと願います。説教を通して、神の説得を受けたのなら、私どもも神の愛に飛び込んで行くべきです。信仰のエクササイズ、訓練をするべきです。トレーニングなしに、成長はありません。皆で、トレーニングしましょう。