過去の投稿2007年5月27日

5月27日

★  本日は、聖霊降臨祭です。多くの伝統的教会は教会暦を採用して、教会(信仰)の生活を整えます。一年を、主イエス・キリストの救いの御業を覚えながら歩むのです。この暦は、三つの行事(三大祭)によって構成されます。ローマ・カトリック教会では、待降節(アドベント)から始まる「降誕祭(クリスマス)」。そして、主イエス・キリストのご復活を祝う「復活祭(イースター)」。そして、三番目が、本日の「聖霊降臨祭」で、主イエスが約束された聖霊が降臨され神の民の新しい出発(キリストの教会の誕生日)となったことを祝います。

☆   この日に、幼児洗礼入会式、また、信仰告白式が挙行されましたことは、大きな喜びです。洗礼を求め、目指す方は、次回は、降誕祭となります。12月23日を目指して、学びをする方が起されますように! 今、聖書の教え(教理)を共に学んでいる高校生たちの中から起されたらどんなに大きな喜びでしょうか。

★   教会の祝祭日にはまた、聖餐の礼典を祝います。本日は、特別伝道礼拝式を捧げていますので、二つの諸式と救いの証を語っていただきました時間の関係上、いつもの第一主日に祝うことにしました。信仰告白者としては、本来は、その時に、聖餐の礼典に参与することによって、現住陪餐会員とされた祝福を体で知らされることになるのですから、残念でもあります。次週までの「お楽しみ」ということで了解していただければと考えます。伝道すること、あるいは日曜学校の目標は、何でしょうか。それは、聖餐の礼典にあずかれる人へと導き、訓練することです。洗礼を受けなければ、聖餐の恵みにあずかれませんから、洗礼が一つのゴールとなります。聖餐の恵みとは、キリストの獲得されたすべての祝福が注がれることをあらわすものです。聖餐によって教会は、聖書に証されている「キリストの体」として形成されます。日曜学校の教師たちは、子どもたちが、この聖餐を正しく受領できる日をはるかに目指して、その心と魂に福音を届けているのです。幼児洗礼を授けられた幼子そして、すべての「契約の子」たちが、本日、信仰告白した姉妹のように、聖餐の礼典にあずかれますように!そのために、信仰者の親と教会がなお真剣に励めますように!

☆   先週の岩崎牧師の説教奉仕は、予想通りすばらしいものでした。私自身のよい学びとなりました。伝道月間の奉仕者のために、○○姉妹が、心を込めたすばらしいレースを編んでくださり、プレゼントしてくださいました。拝見して思わず、「わたしも岩の上に呼ばれたいなぁ」と口にしてしまいました。手の込んだ「芸術」です。また、伝道委員も、何通ものお礼状書きの奉仕は大変であったかと思います。お礼状へのお礼状が届けられています。「よほどのこと」と思います。このような陰の奉仕について通信で公にすることは、その方の神からの賞与を奪うことになりかねませんが、陰の奉仕者に支えられての伝道月間です。

☆   岩崎先生を囲んでの質疑応答は、第一の目的とした学生たちが帰られてしまい、会員との交わりの様相となりました。15分の延刻とさせていただきましが、多くの方々が、岩崎先生からのコメントを受けられず、残念でした。一人の学生が、「友達を教会に誘っても、たいてい断られる。だから、今回のような機会が設けられることは、とてもすばらしいことなのだと思う・・・」心に残りました。「死から命へ」、本当に、軽薄な時代、短絡的な時代、人生や、生きること死ぬことを真正面から、そして深く問わなくなってしまった現代人に、岩崎先生は、直球を投げ込んでくださったのです。また、先生は、「神の時があるから・・・」と励ましを与えて下さいました。同時に、日曜学校からのお誘いの葉書がたまったのを見て、教会に戻ることができたという神学生の証も伺うことができました。何度断られても、誘い続ける大切さをも教示してくださいました。 伝道月間は、本日で終わりますが、なお地域伝道に励み、伝道の責任を果たしましょう。

★   家内が可児市にある「花フェスタ」の「アンネの薔薇」贈呈事業(朝日新聞社共催)に、申し込み、当選しました。姉がわざわざ贈呈式に出席して、持ち帰ってくださいました。学校の他の施設は、私どもの教会だけ○○だったとのこと。早速、庭に植えました。また、神港教会の庭にもおすそ分けしました。平和を願う薔薇です。また、説教卓前に飾られた薔薇は、「フェリクス基金」の桜井先生ご夫妻からの寄贈です。この季節、教会は、薔薇に溢れることとなりました。神の美しい作品、花の中の花と呼ばれる薔薇を感謝します。

☆  先週、四日市に転居された○○姉より、お便りを頂きました。月定・感謝献金も添えられていました。ご家族ともお元気でお過ごしのようです。四日市教会は車で5分とのこと、転出の日も近いと思います。○○君も併設の幼稚園で楽しんでいるようです。送り出してすでに数週間。○○家の存在の重さを、主の日のたびにかみ締め、深い喪失感があります。いつか又、共に教会生活ができたらどんなに幸せだろうかと思います。しかしそれまでは、岩の上での信仰生活で得た恵みで、四日市教会に仕えていただければと祈ります。