過去の投稿2007年6月4日

6月3日

★  伝道月間が終わり、早くも6月を迎えています。一年の速さに、唖然とさせられます。教会は、一年一年を大切にしながら歩みます。教会はその歴史を毎週、特に主日のたびに作ってまいります。そして、その歩みをきちんと評価することが、教会にとって極めて重要です。日本キリスト改革派教会は60周年を祝い、中部中会は、そろそろ50周年の準備を始めます。そこで問われるのは、自分たちの歴史を正しく認識する力です。改革される教会であるために、改革する力は御言葉にのみありますから、説教に生きることが大切です。しかし、その御言葉をどのように適用すべきかを問うためには、相対的な評価が大切です。他教派、教会を知ることも求められます。わたしは、もともと改革派伝統の外にいましたから、その点では、よく分かると考えることは許されるのではないかと思います。それなら、名古屋岩の上伝道所を知る道はどうでしょうか。先週の名古屋圏四教会合同の修養会に出席することも助けとなるでしょう。私どもが恵まれている点があると思います。弱い点もあるかと思います。それは、どこで、どのように克服できるのか。それらを正しくわきまえる責任は、第一に宣教教師、そして伝道所委員会にあります。今日は、定例の委員会です。委員方が、委員としての奉仕を担うことが出来ますように。長老候補、執事候補としての自覚のもとに、会員の模範となりますように。

★  5月伝道月間において、わたしどもはもとより、中部中会の諸教会に多くの金城学院大学1年生が出席されました。先週は、試験答案の評価や教会出席レポートを読みました。(準備のための時間もかかりますが、講義後の時間もまた多くかかります。)しかし、彼女たちの答案やレポートを読みながら、ますますその使命、責任の重さを思わざるを得ません。ある学生は、ちかくの教会に行かれ、ちょうど、東部中会の風間牧師の伝道説教でした。お昼を頂いたばかりか、午後の集会にも出席し、帰りは、自宅まで会員に車で送り届けていただいたとか・・・。私どもは、一度に多くの学生を受け入れましたから、その点で、配慮が行き届かなかったかと思いきや、彼女たちもまた、私どもの教会によってよい印象を持ったようです。思えば、昨年、「宗教学」のときのように月曜日でなければ無理であると、「キリスト教学」講義依頼は、きっぱりとお断りしたのでした。ところがまことに不思議な導きで、受け入れたわけです。ただし、その時点では、学生への伝道の重要性を痛切に考えていませんでした。しかし今、あらためて神の摂理、強い導きを痛切に感じています。そして、反省しています。つまり、わたしはもとより、私どもの教会じたいも、学生のための祈りをもっと集めなければならないのではないかということです。かつてビルの時代であれば、それこそ、一人の新来者が来られれば、大変な騒ぎ(?)でした。いよいよ、「教会の伝道」となりますように。

☆  先週、 ○○姉より、お葉書をいただきました。いくつかの教会に出席され、○○ 教会への出席をお決めになられたとのことです。○○ ちゃんの小学校での生活のことが少々、気がかりにもなっておられるようです。わたしも小学生時代に転校の経験があります。学区を変えただけのものでしたが、それでも、大きなストレスがあったことを思い出します。主イエス・キリストの励ましがありますようにと祈ります。

★  一昨日、ある教団の月刊紙で、わたしが神学生のとき、信仰へとお導きする幸いを与えられた方がついに按手礼を受けられたとの記事を見ました。思えば、20年前の夏期伝道のおり、その方のご家庭を訪問し、聖書の学び会を重ねました。20代の人間が50代の方に個人伝道したわけです。全年齢層の方を救いに導けるようにと祈っていました。そして救いにあずかり、降誕祭で洗礼を受けられました。大晦日の雪がちらつく日、わざわざ神学校まで感謝のものを届けに来てくださったことは、生涯忘れられません。神学生のとき、何人もの方々が救われ、洗礼も受けられました。しかし、わざわざそのように感謝を言い表された方はおられませんでした。その後、その方も献身されたことを知りました。10数年前です。ついに受按試験に合格されたのです。72歳とのこと。牧師としての歩みは残り少ないかもしれませんが、なんとすばらしいことでしょうか。教団が異なり、今では、賀状を頂くのみですが・・・。感謝とともに祈らせていただきました。