過去の投稿2007年6月17日

6月17日

★  本日は、中部中会一斉講壇交換日です。だんだん根付いてきたと思います。何故、講壇交換なのか。 それは、中会が「一つの教会」であることを、確認するためです。「中会なくして教会なし」加入前に、耳にたこができるほど聞かされた言葉です。長老主義教会とは、各個教会に霊的な権能(誰に洗礼を施すか・・・、罪の赦しを与えること)、権威(これは特に誰を牧師にすることができるのか・・・という、ことを考えてくださると分かりやすいと思います。)を第一におかず、中会(プレスビテリ)に置くのが、長老主義教会なのです。各個教会主義、各個教会完結のあり方(会衆主義教会、バプテスト諸教会)などとは決定的な違いがあります。ちなみに、歴史的には、彼らは新しい教会です。私どもは、加入の志において、中会形成への参与を謳いました。それは、中会の会議や委員会活動に名古屋岩の上伝道所がどんどん加わるということではなく(それも、大切ではありますが)、私どもの伝道が盛んになり、私どもの教会がキリストの主権に服す、霊的な生き生きとした教会として形成され、それによって中部中会を支え、その見本となることです。まことに大風呂敷ですが、しかし、大まじめです。ただしその現実は、いかがでしょうか。厳しく問われます。伝道の面で、また教会政治や霊性の内実において、わたしどもはまさになお、「伝道所」の「まま」の「面」があります。このことを改めて認識し、だからこそ励ましあって伝道し、学び、加入の志を果たしてまいりましょう。

☆   加入前から私どもは自発的に講壇交換をしてまいりました。そのようなこともあり、中津川教会での奉仕によって、すべての教会・伝道所で説教奉仕を担わせていただくことができ、なにか、達成感があります。

★   先週の大会役員修養会は、「60周年以降の取り組みⅡ」を主題として、まるで大会の準備会のように、さまざまな委員会の課題について発題がなされました。「礼拝指針改定について」「教職養成について」「訓練規定改定について」「宣教と社会]からは、声明文の意味について「雀のお宿」「予算調整」「リトリート] 引退教師の岩永師 「定期大会二泊三日制について」「教師共済会について」。

☆  今回は、主日の午後から浜松伝道所に行き、月曜日からは大会教育委員会でしたから、皆様のことをあらためて思いました。ご家族の入院・・・、新来者、求道者のお休みが続くフォローなど・・・。

☆   大会教育委員会は、これまでなかなか、事柄の性格上、実りある仕事を上げることができませんでした。しかし、今回の委員会で、いよいよ「信徒の手引き」の執筆が始まろうとしています。すばらしいものができあがる予感にわくわくするような気持ちを抱いて委員会を終えました。いつか皆様とわたしの書いた文章を読み合わせるような仕方で、キリスト者としての生活の基本、日本キリスト改革派教会の信徒としての基本を再確認する学びを祈祷会などで出来ればと夢想しています。

★   大会での議論において、ほとんど「異言」のように、かみ合わなくなっていることがあります。私ども名古屋岩の上伝道所にとって、あるいは中部中会にとって大前提となっている教会の政治的使命、対国家への責任の考え方を巡ってです。毎年、大会の「宣教と社会委員会」が呼びかけて各中会の「世と教会委員会」の情報交換と懇談のときを設けます。そこでも、合意形成の必要性云々と語られた教師がおられました。牧田先生の昨年の西部中会で行われた8・15集会講演録を手に入れ、興奮しながら読みました。「政治的状況が信仰告白的戦いを求める事態に至っていても、なお自教派の教理問題や内部的諸課題に関心を集中させてしまう危険性がある」これは、まったく我々の状況を暴く言葉として読んだのです。現在、大会「宣教と社会」からの機関誌への寄稿の宿題を抱えています。わたしは、大会での発言をきちんとしていませんので(大きな議場で意見を戦わせることがどれだけ効果があるのかとも、思ってしまいます・・・・)、この際、「きちんと」と考えています。私どもの「急所」それは、「戦争責任の自覚と悔い改め」を徹底的に掘り下げることに尽きます。8月27日~29日の信州夏期宣教講座に出席を・・・。今、親しい友人が記した論考が収められている「十五年戦争期の天皇制とキリスト教」を著者割で送ってもらい、時間を忘れて読んでいます。

☆  牧田先生から、 の 教会の週報を4月分から最新まで頂きました。先生がどれだけの勢力を傾け 教会に仕えようとしておられるのか、びんびんと伝わります。「牧師室の窓から」のコーナーは、「通信」と同じ目的です。先生は会員のなかでは、「最若」の会員とのこと。年齢だけではなく、「幼子の信仰」で、務めを担い始めておられるのです。興味のある方は、わたしまで。上述の記録誌も。

★  大会の集いは、励まされるよりは、危機感が募る・・・。正直な思いです。しかし今回、もう一つ嬉しいことは、青少年伝道についての新しい試みについてです。正しく伝道し、教育する教会になりたいと願います。