過去の投稿2007年9月2日

9月2日

★  先週は、「信州夏期宣教講座」に二人の委員方(お二人は、二日目のお昼まで)と出席できました。今回の主題は、「戦争責任、戦後責任」です。期待通り、新しく自分自身の姿勢が問われ、また、励まされました。

☆  わたしは1960年、戦後高度成長期に生まれました。私どもの中で、戦争体験を持っておられる兄姉はわずかです。その時代を、キリスト者として生きた仲間もおられません。ましてや、従軍経験者は一人もおられません。実は、そのような先の戦争を知らない人間として、日本の教会の戦争責任を問う、批判することは、心の中に、ある種の「後ろめたさ」がありました。戦中を生きたキリスト者の先輩から、「あの頃の我々の戦いを知らない者が、あれこれ批判するのは、やめてもらいたい」という、はっきりとは口に出さずとも、そのような主張を、わたしは直に聴いたこともあります。そうすると、そこで、ひるむ思いが生じます。「自分がその場にいたら、どう行動していたのか、偉そうなことは言えないのではないか・・・」これは、戦後世代のキリスト者たちすべての共感できる心の思いと思います。しかし、渡辺先生は、このような主旨を仰いました。「そのような先輩たちにひるむな」。「自己告発」をしない、戦争体験者の主張は、偽りなのであるということです。戦後世代の私どもが批判をそこでやめてしまうなら、あの戦争から何も学び取ることはできなくなるのです。何よりも、「悔い改め」は、そこで止まってしまいます。従軍経験者である渡辺先生御自身も、実に、戦争の悔い改め、戦争体験を著すまでに、実に15年かかられたのです。今日の精神医学の言葉で「PTSD」(外傷後ストレス障害)であったわけです。そうであればこそ、戦争を知らない世代、あの時代を客観的に知ることのできる世代が、あの時代を徹底して調べ、そこで自分の「先祖の罪」(「しかし、もし彼らが自分と自分の先祖の罪、すなわち、わたしを欺いて、反抗した罪を告白するならば~」 レビ記第26章40節)、教会の罪を徹底して暴くことが必要とされ、教会にとって極めて重要なのです。そのことを、今回も、渡辺先生に仰っていただいて、はっきり悟ることができました。これは、出席者一同の共通の思いであったかと思います。

★  皆様と、今月の読書会で拙稿を読みました。「日本における教会形成の急所―戦争責任の懺悔と謝罪―」です。わたし自身の悔い改めは、なお、始まったばかりであると、皆様に申し上げなければなりません。自分で語り(記し)ながら、改めて、まだまだ不十分・始まったばかりなのだと悟らされました。あの時代の教会のおそるべき罪は、私どもの教会の罪なのです。教会とは、時代を越えて、存在します。出エジプトの出来事も主イエス・キリストの十字架と復活の出来事も、神の民には、自分の体験であるのです。それを否定すれば、私どもは神の民ではありません。逆に、言えば、旧約のイスラエルの偶像礼拝の罪とその裁きも、日本の福音主義教会の罪と裁きも、私どものものです。

☆   私どもが徹底して罪を悔い改めること、その実りを結ぶことなしには、「悔い改めて、福音を信じなさい」との主イエス・キリストの福音宣教の御業を担うことは、不可能です。「日本の教会」の「再生」(来る信徒研修会の主題講演)は、戦争責任の罪を明瞭にし、悔い改めること、悔い改め以外に、ありえません。私は、名古屋岩の上教会の開拓伝道・形成とは、「キリスト教会とは何か」という根本的問いと悔い改めにもとづくものと自負しています。その帰結が改革・長老教会の形成となったのです。しかし、日本にあって、キリスト教会の形成を問うとき、その急所は、この戦争責任の明白な悔い改めであることをいよいよ悟ります。そしてそのためには、先ず、事実をよく知ることです。

★   もう一人の講師の日本キリスト教団の引退牧師の安藤肇先生は、日本人牧師として、はじめての戦争責任を告発する、自己告白の書物を著されました。(「深き淵より」)まことに数少ない戦争体験者であり、自己告発をなさる先生から、戦中、戦後のことを知らされました。伺いながら「そこまで!」指導者たちは、おぞましい罪を犯していたのかと暗澹たる思いが、今も心を圧しています。繰り返します。わたしの責任、私どもの責任は、その事実から目をそらさないこと。さらに知る(発掘)べきこと、それを掘り下げることだと確信いたします。時間が許されれば、そのような研究に没頭すべきでは、との思いが心を占めています。

☆   講師のお二人は、80代の後半。もう一人は、40代後半。出席者のなかには、20代の神学生たちもいました。これほど、世代を超えたキリスト者が、あつく語り合う、討論しあう集会は、なかなかないでしょう。

★   帰路、中会学生会サマーキャンプを一瞬覗くために雀のお宿に寄りました。楽しい集会のようでした。

☆   行きの車中、○○委員のお友達が、ついに○○伝道所で10月第一主日に洗礼入会なさるとの吉報を伺いました。開拓第一号の洗礼入会者です。○○兄のお友達も○○の教会で・・・。さて、当伝道所は!?