過去の投稿2007年11月15日

11月11日

★   既に先週の主日のお昼のとき、お伝えしましたが、すでに長く共に教会の交わりのなかにいる○○○○ちゃんが、来る降誕祭における洗礼入会への志願がなされました。私どもにとって、特に私どもの日曜学校伝道にとって、どれほど大きな喜びであり、祝福でしょうか。主の御名を賛美し、感謝いたします。私どもの教会はこれまで、契約の子二人は信仰告白式を執り行うことができました。しかし、未信者の子弟の子、日曜学校から育った子どもたちは誰も洗礼を受けることはありませんでした。このことは、名古屋岩の上伝道所の日曜学校の大きな実りです。実は、現在、私どもの子ども礼拝、日曜学校に通う子どもたちは減少し続けています。大きな課題の前に、有効な手立てや、具体的な行動を起しえないまま、これを食い止めることができないでいます。彼女とは、先々週の礼拝式後の高校生学び会の折、「神さまと二人きりになって、祈って洗礼入会式の日にちを決めてください」と、学びを終えました。すでに10年以上、ほとんど毎週、日曜日に○ちゃんは、神さまを礼拝し、聖書を学び続けたのです。もともと、○姉とともに今年の復活祭に洗礼入会を目指して、学びをし始めました。しかし、友達と一緒に・・・、ということではなく、自分の主体的な応答をもって、洗礼へと導かれることが大切とわたしもご本人も考えました。そして、ついに神の導きと招きにお応えして自分の口で志願を言い表されたのです。12月23日が降誕祭主日になります。しかし、その前に、ご両親の許可を求められます。基本的には、わたしは、未信者の子弟(未成年 18歳以下)には、ご両親の許可を求めます。それをきちんと乗り越えることも、キリスト者としての第一歩の最初の戦いとなるからです。先週は、そのことを祈りました。結果は、まだ伺っていません。しかし、主が最善になされることを信じます。どうぞ、なおなお、祈りのうちにお覚え下さい。

☆  先週の伝道所委員会で、新年度の委員会の体制について協議しました。報告どおり、新年度は、委員の補充を決定しています。委員会で推薦した方々には、牧師が個別にその旨をお伝えし、祈っていただくことと致しております。先週の説教は、まさに「なすべき礼拝」「論理的礼拝」「必然的礼拝」「理性的礼拝」ということを学びました。キリスト者は全員、「こういうわけで」という神の愛、御子イエス・キリストを犠牲にしてまで私どもを贖ってくださった神のご愛を受けています。「ああ深い!」と感嘆し、賛美する以外にないのです。論理的、必然的に自分の全存在を神のものと認め、そしてそれを「志」にかえて、「献身」する存在です。神の恵みは、それを受けた人間を必ず応答的・責任的存在に造り変えるのです。信仰は情緒的ではなく、意志的なものです。そこにキリスト者の「誇り」もあります。ただし「伝道所委員」は、長老・執事ではありませんが、それを目指し、倣うべき「教会の務め」に就くことを意味しますから、自由に担うことはできません。最終的には、会員の承認と会衆の前での誓約を求めるべきものです。委員を選ぶことが、すでに委員会の重大な働きの一つになります。(この点で、私どもは、委員を選挙によって選ぶ段階にはまだ来ていないという認識を持っています。委員会の推薦に基づいて、ご本人の了解を得て、会員総会に推薦するわけです。)いずれにしろ、推薦された方々はもとより、皆で、ふさわしい委員が起こされるように祈りましょう。

★  私どもは今年から来年、大きな節目を経験しようとします。会員を送り出す教会は、決して地方の教会ばかりではなく、名古屋もまた同じです。今年、ディアコニア委員会が立ち上げられましたが、いよいよ、全会員が奉仕を束にして、教会の伝道、経済が前進できるように祈りましょう。

☆   本日、牧師は、関キリスト教会の伝道応援に出張しています。関教会は、まさに伝道する教会であると言ってよいでしょう。小さな町のなかで、100名余りの方々が集められます。おそらく初めて教会に導かれる方も複数起こされていると信じています。業者によって印刷されたポスターや集会案内も多く配られているようです。福音伝道の基本。それは、とにかく伝えることです。伝えないところでは始まりません。関教会の存在は、まさにそれを如実に証言していると思います。私どもは、手作りの伝道新聞です。これを伝道の武器・ツールにして用いてまいりましょう。