過去の投稿2008年1月20日

1月20日

☆  「世界は教会になりたがっている。」教会について学ぶ講義のとき、この主題をもって語ります。優れた日本人神学者の言葉です。イエス・キリストにあって男と女が、ユダヤ人と異邦人とか「一つの体」に結ばれる共同体。これは、21世紀の人類がいよいよ地球的規模で希求する憧れです。その憧れが、今から2000年前、他ならないもっとも人種の差にこだわってきた「ユダヤ人」たちから始まったのです。キリスト者とされたユダヤ人、新しいイスラエルによって始められました。爾来、なお曲折を経ていますが、キリストの教会は、このようなお互いの差異を認め、受け入れつつ、お互いを体の各器官として必要とし合いつつここまで参りました。 

★  「教会は世界になりたがっている」これはまた、上述の神学者の鋭い教会批判の言葉でした。   教会が、その唯一性、霊性、聖性を見失い、世俗の価値観を密輸入して、解体する方向へ、歩み出すこと、そのようにして、世界に「おもねる」あり方を批判したのでした。この神学者の主張を、神学生のとき、大変、共鳴して聞きました。教会に仕えて20年。献身者として24年。キリスト者となって28年。一貫して教会共同体が課題でした。「ここに神の教会を!ここにキリストだけを主と告白する慰めの共同体を形成させてください。」開拓一年目、この言葉が通信欄にどれだけ「踊った」ことでしょうか。キリストの主権の確立を目指しての歩みは、なお途上です。終わりはありません。この道をなお希望をもって進み行きます。次主日、08年度の会員総会がよい出発となりますように。委員会は、準備を重ねました。どうぞ、皆さんは、この一週間、特に年報を熟読、再読して、よく備えてください。そして、この「牧師」(単にわたしの声ではありません。神の御声です。)に、皆で共鳴してまいりましょう。

☆  「カンタービレ!」先週の説教において、皆様には覚えていただいたかと思います。「名古屋岩の上教会、カンタービレ!」歌うように演奏して、神のオーケストラとして、御言葉と信仰の喜びの声を奏でましょう。「響く」条件は、空洞であるということです。私どもの礼拝堂は、音響は比較的よいと思います。圧倒的によくなるのは、カーテンを取り払ってしまうときです。そのときには、響きすぎるくらいになります。もやもやしたもの、つまっているもの、それが取り払われること。その課題にまい進しましょう。父なる神の「手入れ」を、進んで受けてまいりましょう。

★  会員総会とは、何でしょうか。それは、日本キリスト改革派教会の教会規程に「規定」されています。私どもは、単立時代の戦いを経ていますが、「悪い癖」は克服しなければなりません。「牧師の声」などと書くと、「『みんなの声』を集約して・・・。」とおかしな批判を招く危険性があったのでした。新しい年度、二人の新しい委員が立てられる予定です。良くも悪くも「岩の上育ち」の方々が、中心になるわけです。「遂に」ここまで来たということです。それは、いよいよ「真価を問われる」ということでしょう。どうぞ、新委員の方々のためにお祈り下さい。そして、「岩の上の原点」を問うことを掲げて進むことが、委員会の決議事項です。ちなみに、中部中会は、来年、50周年を迎えます。加入の年、40周年を金城学院大学のランドルフ講堂で祝いました。加入の経緯やその神学を分科会で発表したのでした。10年を迎えるとき、それは、やはり「一時代」です。この一時代を本当に、感謝して回顧するためにも、この一年は重要でしょう。人数ではなく、キリストの主権・・・。変わりありません。しかし、「わたしたちを助けてください」とのこの町にすむ選びの民の声なき声を、聴き取る教会でなければなりません。何よりも、「時が良くても悪くても、御言葉を宣べ伝えなさい」との宣教の主からの命令に服従する教会でなければなりません。伝道しましょう!

☆  一人ひとりが遣わされた場所で、言葉と行いで証をし、キリストを紹介することです。しかしまた、新年を迎え、新たな隣人との出会いが一気に増えるということもないかもしれません。教会員、皆で工夫して伝道してまいりましょう。牧師が伝道で、一対一の学び会で、忙しくてしかたがないようになることを目指してください。

★  使徒ヨハネが報告してくれた5千人の給食の男の子のエピソード。先週の説教でも触れました。わたしの心の中に、いよいよ深く入り込んでいます。主イエスの説教に生きるモデルです。使徒的な模範です。それが子どもであったのです!どんな子どもだったのか?イエスさまの子ども時代に・・・。