過去の投稿2008年3月9日

3月9日

★  先週は、一週間のうち、二回も犬山に参りました。大会教育委員会は今、40年前に刊行された「信徒の手引き」の改訂作業を優先して行い始めています。委員も二人が増員されました。今回、執筆分担を定めて、草稿を提出することになりました。わたしの担当は、最後に残ったもの・・・。執筆の見通しはまったく立っていませんが、摂理として受け止めています。時間を確保するための段取りを考え始めているところです。信徒の手引き、言わば、生活マニュアルです。手軽なマニュアルの存在は、忙しい現代人にも重宝され、必要があるかと思います。類書は、40年前のものもありますし、他教派、教団のものもたくさんあります。新しいものを出すわけですから、強い必然性がないと困ります。日本キリスト改革派教会「らしい」ものが必要です。つまり神学的な骨格と土台がしっかりしているということです。神学者の牧田先生が、委員におられますので、先生の神学的立場が全体に反映されればすばらしいものとなると考えます。「先生がそのすべてを執筆されることの方がよい・・・、」仕事量を減らしたいからではなく、思います。牧田先生の神学的確信には、ほとんど全幅の賛意を持つことができることは、実に感謝なことです。

☆  信徒の生活マニュアルということであれば、私どもは、ローマの信徒への手紙第12章を三ヶ月に渡って学んでまいりました。それは、まさにキリスト者の生活マニュアル、聖化のマニュアルでした。そうであれば、「信徒の手引き」とは、聖書そのものです。聖書は、「信仰と生活の唯一の規準」です。それを「正典」(キャノン)と申します。生活の「唯一」の規準ですから、私どもの生活は聖書生活として営まれるべきです。これは世々のキリスト教会の確信なのです。正確に申しますと、確信であるべきです。改革者たちは、信徒が自分の母国語で聖書を読めるようにと懸命な努力を払いました。ルターは自らドイツ語で新約聖書を翻訳しました。教会の改革は、聖書(の御言葉)によって改革されるものであります。そして、改革派教会とはまさに、それを自分たちの教会の名称にしたのです。「改革された教会は、絶えず御言葉によって改革される。」です。聖書に慣れ親しむ生活をこれからも、信徒生活の基本、基礎としてまいりましょう。

★  朝夕の祈祷会で、聖書日課の「エレミヤ書」を家内が、短く要約、解説しました。私どもの聖書日課は、三川牧師のものを用いています。実に詳細です・・・。途中で脱落してもかまいません。今、配られているところを読めるなら、そこからもう一度、読み進めましょう。子どもたちには、「いのぱん」があります。家庭では、「いのぱん」を用いて、子どもたちに自分の口で解説して一緒に読んでくだされば、「最高」です。

☆  生きるための「マニュアル」が欲しいという発想はしかし、危険なことでもあります。聖書が与える幸い、聖書が生み出す人間とは、神の御前に一人立つことのできる人間です。もとより、私どもはこれまで徹底して神の民の祈りの家の形成、教会共同体に生きることがキリスト者の使命であり、存在と学んでまいりました。それにはいささかの揺らぎもありません。しかし、そのような共同体に生きる存在は、「自分で考える」、「自分で決断する」人間を育てることと一つのことなのです。先週の男性の会で、一人の兄弟が、判断を迫られ迷いの中にあるとの証しがなされました。夜の祈り会の分かち合いにおいても言及されました。私どもは、自分の具体的な生活の中で、常に御心に従って生きることは、どちらを選択すべきかを迫られます。信仰の初心者であれば、牧師に相談することが必要です。しかしそれでも小さな毎日の選択のなかでは、ままなりません。そのときこそ、ローマの信徒への手紙第12章1-2節なのです。「あなたがたはこの世に倣ってはなりません。むしろ、心を新たにして自分を変えていただき、何が神の御心であるか、何が善いことで、神に喜ばれ、また完全なことであるかをわきまえるようになりなさい。」神の善を判断すること、そのために、自分の思いを優先させず、かえって自分を献げて、常に新しく変えていただくことです。信仰とはまさに「変えられる」ことなのです。この新しく変えられて行く旅路を進み行くことが私どもの幸いです。選択には、もとより失敗もあります。しかし失敗しながら、悔い改めて、主の御心を知って行くことが、キリスト者の先輩としての正直な証しです。現代社会の多様なあり方のなかで、キリスト者らしい歩みを作ることは、大きな戦いです。しかし、いつの時代でも、信仰は冒険です。しかし、確かな冒険なのです。主が既にこの冒険を勝利して歩みぬかれ、その主が私どもとともにおられ、神の御国を目指すものだからです。

☆  先週から、大きな書物を三冊買い求め、読み始めています。全部で1600ページもの、学術書です。2万円もの出費ですが、その一書「平和の契約」は、「新約聖書神学」の書物ですが、すばらしい書物で、かじりついて読んでいます。「メノナイト」の立場の学者から、喜んで説得されることは初めての事です。