過去の投稿2008年11月9日

11月9日

★先週、この欄に、これまで私どもがその言葉の意味を大切にし、理解し、実践に励んだ鍵の言葉を記載しました。定例伝道所委員会では、下記の文章を「たたき台」とすることを決議いたしました。 ひとりの委員が記したものです。相談を受けわけではありません。一同、驚き、また感謝して、読みました。

【日本キリスト改革派教会 名古屋岩の上伝道所は、父と子と聖霊に御名によって集められました。ここに神の教会を、ここに聖餐を囲み、キリストだけを主と告白する、 慰めの共同体を形成させてください。」 この志を礎とし今日まで導かれ、その思いは教会の生命である主日の礼拝式で開かれます。礼拝式では、み言葉の朗読と説教が正しく語られ、その聴従により神が霊的に民のうちに臨在し、聖礼典がキリストの制定によって執行され、新しい生命を育みます。また、天上の教会と結び合わさり、その喜びの声は、地上との共鳴をよび、天国の型を端的に現します。

 また、「20周年宣言を生きる教会」として教会の形成に励んでまいりました。「聖霊の力あふれる教会形成」こそ、ゆるぎない神の教会を建てあげる道筋であり、私どもが歩むべき姿があると確信します。祈祷会は、聖霊が人を通してなしたもうみ業の使命を、熱心に絶え間なく、信徒の特権として励み、祈りを「束」としました。伝道は「教会の生命は伝道の実践となって躍動する。」思いを描きながら、日曜学校伝道を核とし、言葉と愛の行いによる伝道の実践であるディアコニアの意義を学び、実践します。

 「わたしは、この岩の上にわたしの教会を建てる」神は見える教会として、私たちの上に、教会を建て上げてくださいました。キリストに結ばれた中部中会の一群れである私どもは、「ただ神の栄光のために」、永遠に過ぎ行くことのない神の言葉の上に立ちます。あらゆる形の無神論を打破し、すべての領域において神の主権を告知し、主が再び来てくださる時まで、ときが良くても悪くても、うむことなく、福音の宣教にまい進し、やがて訪れる終わりの日に希望をおき、祝福と恵みの中を歩みます。】

☆中部中会50周年宣言にあわせて各個教会の言葉(言わば、各個教会版、記念宣言です)を編みますが、わたしも手を加えるつもりです。皆さんも積極的に、ご意見を、委員たちに提出してください。そして、私どものこれまでの歩みを継承し、また新しい大きな歩みをつくるためにも、「外から」与えられたこのチャンスを、自分たちのためによりよく生かしたいとおもいます。

★先週久しぶりに、○○氏の病床をお尋ねしました。夜の祈祷会の折、水脹れが手足に出ているとのことを伺ったからです。快方に向かっておられることを伺って、本当に、感謝いたしました。また、○○兄弟の検査のことも、朝夕の祈祷課題として祈りました。教会員ひとり、一人。またその家族。それぞれに、祈祷課題が与えられています。重荷が与えられています。私自身、一つ一つの奉仕に集中して行けば、時間と体は、まったく足りません。どれも中途半端!になる危険性と隣り合わせです。父として、家庭人としても祈祷課題に終わりはありません。説教でも触れました。「真のキリスト信者アペレ・・・・」「お前は、本物の、真の牧師なのか?」この問いを、自らに問い続けてまいりました。主の前に、キリスト者として生きること、牧師もまた、その線上にあります。特別の使命と務めが与えられていますが、しかし、それは、「キリスト信者」であるところから、出てくるものでしかありません。ここでも「既にと未だ」の歴史の中間時点を生きる存在として、また「恵みのみと、主に結ばれて強くなれ」との信仰の論理のなかで、自分の地上での務めを忠実に、誠実に、真実に担う以外にありません。祈祷会では、委員提案によって、「個人の祈祷課題カード」が整えられています。祈祷会に定期的に出席できない方は、このカードに記載して、祈りを共有して、信仰の旅を進み行きましょう。  (昨年、病床をお訪ねする「キャロリング」を致しました。今年も、計画しています。そのためには、練習が必要です。燭火礼拝式にも、聖歌隊の特別賛美を願っています。)

★本日、故、鹿島史子氏の記念会を礼拝堂で執り行います。生前に面識がありませんでした。とても厳しい闘病生活を送られた方です。「神は愛です。」これは、聖書の中核の言葉、福音の基礎です。しかし、現実の生活には、このみ言葉を、受け入れられなくする出来事に満ちています。いったいどこで、このみ言葉がリアルになるのでしょうか。それは、十字架のキリストを仰ぎ見る、その一点にあります。わたしも、そして皆さんも、「厳しさ」には、まったくの相違がありますが、キリスト者もまた、厳しいところを通らされながらも、しかし、「神は愛」とのみ言葉を、心から受け入れることができました。どうぞ、祈りましょう。この神の愛が必要な方こそ、このみ言葉に反発しやすいのですから。