過去の投稿2009年3月15日

3月8日

★  先週のこの欄には、教会堂献堂式における告白を記しました。本日は、その時になされた「牧師挨拶」と「改革派中部」誌に掲載した会堂建築募金感謝の文章を転載いたします。第15周年記念誌のために・・・。

牧師 挨拶

  私ども日本キリスト改革派教会 名古屋岩の上伝道所は、1994年4月3日、復活祭の良き日に、第一回の礼拝式を、平手北協栄ビル3階の一室において捧げ、もって開拓伝道の産声をあげました。その日の週報には、「ここに、神の教会が形成されるように」「ここに聖餐を囲む群れが形成されるように」「ここにキリストだけを主と告白し合う慰めの共同体が形成されるように」との祈りの言葉が記されました。

爾来、単立教会として厳しい教会形成の戦いをしながら、神の導きを受けて、1999年4月、日本キリスト改革派教会中部中会に加入いたしました。第一の祈祷課題が叶えられてより、棚上げにしておりました第二の祈祷課題、土地の取得、教会堂の献堂を祈り求めました。ついに2001年7月開催の臨時会におきまして、「名古屋岩の上伝道所 土地建物取得委員会」が設置され、その後、数々の議論を重ねながら、ついに本日、献堂式挙行の良き日を迎えることができました。ここに至るまで、中部中会の諸教会、伝道所の皆様の主にあるお支え、ご献金、取得委員会のご指導、さらには大会的な支援、教派を越えた支援にもあずかりました。ここに御名を崇め心から感謝申し上げます。

思えば、私どもは、教会の頭なる主イエス・キリストの恵みの御言葉の御支配を受けて導かれてまいりました。「小さな群れよ、恐れるな。あなた方の父は喜んで神の国をくださる。」(ルカによる福音書第12章32節)「わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てる。」(マタイによる福音書第16章18節)そして本日、2003年4月29日、この教会堂を神に捧げます。「神への愛と隣人への愛の証として会堂をささげさせて下さい」と祈ってまいりました。それ故に、今、教会員一同、心を込めて、志を与えて実現させてくださった父と子と聖霊にています唯一の神に、ご出席の皆様方を証人として、教会堂を献げる決意、感謝、祈りの言葉を告白致します。

名古屋岩の上伝道所新会堂竣工の感謝    相馬伸郎
 ついに、遂に私どもの教会堂が竣工致しました!神と皆様に心から感謝致します。
 ここに至るまでの、「壁」を二つきり挙げるなら、第一に土地取得、第二に会堂建築です。
この土地こそと思い定めていた土地(教会から近く、80坪で廉価)が「売り止め」になったことでした。「もはやこれまで」とその時には、心底思いました。この9年間数え切れないほどの物件に当たりましたから、買い損なったときのショックは相当でした。ところが、ほとんどその直後、現物件と出会ったのでした。この地は、開拓当初、将来はここにと憧れていた場所なのです。しかし、土地は高く、建蔽率などからも手が届かないと諦めていたのでした。
 会堂建築では、お金の問題です。「委員会」の予算案では、到底、私どもの願うもの、60坪の教会堂(牧師住居)は望めませんでした。そこで、これまでの精一杯の会員の献金を、もう   一度、捧げるようにと呼びかけ、教会債も行ないました。しかし、それでもまだ間に合いません。そこで、「大会300万円自由募金」の願いを臨時会に提出し、認めて頂きました。この自由募金のために、どれほど、祈りを集めたことでしょう。毎週、担当奉仕者からの郵便振替用紙を拝見しながら、ハラハラドキドキ(精神的に厳しい)しながら過ごし続けました。建築が始まり、見積もり予算も上昇する現実の中で、予算と睨めっこしながら、冷や汗が出ました。ところがあちらから、こちらから、献金して下さる方が現われるのです。現時点で、680万円!しかも、これは、必要額とほとんど同じ額!なのです。まさに神の御業です。
会堂建築中に、「海の上を歩くキリスト者」という説教を致しました。まさに、私共は海の上を歩く経験をしているのです。風(神を計算に入れない現実)を見れば、沈みます。しかし、   主に目を注げば、私共は海の上を歩けるのです。        Soli Deo Gloria!