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「あなたは、キリストの徹夜の祈りの実り」

「あなたは、キリストの徹夜の祈りの実り」
賛美歌 291・338番
ルカによる福音書 第6章12-13節  2007年4月15日(/録音)

・おはようございます。今朝も、ご一緒に、お祈りについて聖書から学んでまいりましょう。すでに昨年の8月から祈りについての学びが始まっています。このプログラムをつくった私どもの心からの願い、それは、あなたさまがこの放送を聴いてくださるだけではなく、実際に祈る喜びと幸いを知って頂くことにこそあります。そして、実は、その近道にして王道となるのは、教会の礼拝式に出席すること、あずかることです。どうぞ、私どもの教会、お近くの教会にいらして下さい。

・さて、ルカによる福音書は、「祈りの福音書」と呼ばれることがあります。それは、主イエスさまの祈りの姿を多く伝えてくれているからです。主イエスは、折りあるごとにお祈りされました。また、「ここぞ」というときには、まるで祈ることがイエスさまのお仕事のすべてであるかのように祈りに集中されました。

・今朝、ご一緒に聴きました聖書の箇所も、まさにその一例です。主イエスはたった一人で、山に行き、そこで夜を徹して祈り続けられます。まことに真剣な祈り、異常なほどまでに真剣な祈りと言っても良いような気がいたします。
・いったい、何を祈っておられたのでしょうか。それは、弟子たちの中から、12人を選び出すためでした。実は、この12という数には、イエスさまにとって、「こだわり」があることでした。旧約聖書によれば、神の民イスラエルは12の部族から構成されていました。そこで、イエスさまは、新しい神の民としてのキリストの教会の原型とするために、この12人を特別に選び出されたのです。

・さて、言わば厳選されたこの12人は、どのようなメンバーであったのでしょうか。詳しく説明する暇がありません。一言で申しますと、一つのグループとしてまとめあげられない個性的な人々ばかりでした。しかも、イエスさまのお弟子さんになるようなタイプの人でもないのです。極めつけは、主イエスを敵に売り渡したイスカリオテのユダすら入っているのです。いへ実は、ここで挙げられた全員が十字架につけられるイエスさまを、否定し、見捨てて、逃げ出した人々なのです。

・それなら、主イエスが徹夜すらして真剣に、必死に祈られたにもかかわらず、主イエスの祈りは聴かれなかったのでしょうか。イエスさまは弟子選びに大失敗されたのでしょうか。いいえ、違います。聖書は告げています。この無様な彼らがその後、心を一つにして祈りあい、互いに愛し合う者とされたのです。ユダ以外の全員が、今日のキリストの教会のまさに礎となるように活躍し、神に貴く豊かに用いられることになったのです。

・さて、聖書は、何故、この物語を記したのでしょうか。それは、イエスさまの徹夜の祈りは、ただ単に、この12人のためだけではなく、実は、あなたのためでもあるのだと告げるためなのです。

・自分自身のことで恐縮ですが、わたしは自分が、不思議でなりません。いったい、わたしのような人間が、どうしてイエスさまを信じることができるようになったのか、さらには教会の牧師をしているのか、ただただ不思議です。育った環境とか、人間的な能力とか、まるで牧師になるようなタイプではないと思うのです。しくしかし今朝、あらためてわたしは、あなた様と確認させていただいたのです。そうです。わたしも、そしてあなたも、イエスさまに「ここぞ」と、夜を徹するように祈っていただいたのです。そのおかげで、この放送を聴いてくださり、また心動かされたり、なにより、すばらしいことに主イエスの愛を信じる人になれたのです。つまり、あなたも、主イエスの徹夜の祈りの貴い実りであられるのです。

・今日は日曜日です。神を礼拝出来る日、すべき日です。あなたが礼拝できるように主イエスが祈っていてくださいます。心から、お待ちしています。

・最後にわたしと一緒に祈りましょう。「天のお父さま、イエスさまが、今このときも私のためにお祈りしていて下さることを心から感謝いたします。私も、喜んで、あなたをわたしたちの天のお父様とお呼びします。主イエス・キリストの御名アメン」