過去の投稿2010年3月7日

3月7日

☆   先週の読書会は、久しく中断していました、「個人伝道」についての学びを行いました。「ひとりの魂の救いのために、神に用いられる人となる」という主題で、35分あまりの発題の後、ひとりひとり、意見を述べ、 懇談しました。改革派教会にとっての伝道、それは、教会形成を目指すものであり、何よりも共同体としてこれを担うことを強調します。と同時に、先週のこの欄でも取り上げた、世界の歴史を完成するための奉仕としての福音伝道、世界を聖化する手段としての福音伝道を学びました。それだけに、上述の主題は、むしろ、耳慣れない方もあるかもしれません。

★   伝道を語るとき、それは、まさに実践が問われますから、わたし自身の実践、思いを分かち合わせていただきました。そもそも、牧師へと志願したとき、「ひとりの人を永遠の救い、魂の救いへと導けたら、自分の人生はそれで十分・・・」と思いました。大学には、個人伝道する思いで通いました。当時の祈りは、「今日も誰か、ひとりの人に証させて下さい。」でした。これは、そのように祈るようにと、先輩でもあったKGK(キリスト者学生会)の主事から、教わった祈りでした。大学生であればこその祈りの課題と言えるかもしれません。しかし、そのような伝道への痛切な「祈り」、魂の救いのための「疼き」がなければ、私どもはキリスト者としての存在を深いところから問わざるを得ないのだと思います。今回、出席者の皆さんに、この祈りから始めよう、上述の発題主題を、自分の志にしようと呼びかけました。

☆   個人伝道をするためには、チャンスとあれば、どんどん、気軽に声をかける、そのようなオープンな人柄は、伝道には効果的であることは明らかでしょう。しかし、そうでない方の方が圧倒的に多いはずです。キリスト者になる方の人柄は、多くの場合、「内心」を深める過程において信仰へと導かれるのですから。しかし、そのような人柄であればこそ、声を掛けられやすい魅力があるのではないでしょうか。いずれにしろ、聴いてみたい、話してみたいという人を引き付ける、ほんものの「魅力」とは、福音の実りとしてのものであるべきです。「説明を求める人には、弁明できる用意を!」との御言葉において、聴かれる力を強めることが、鍵となることを思います。また、読んで字のごとく、きちんと弁明し、説得できる準備が求められていることは明らかです。教理の学びも説教聴聞も、伝道の視点から、あらためて、身を乗り出してください。ただ、人から好感をもたれるかどうか、それは、もしかするとその人の価値観がこの世と同じであるからかもしれないからです。

★   先週金曜日、大会教育委員会開催の延期が決まりました。その日、一日をかけて、「信徒の手引き」  草稿の書きなぐりの文章表現を整えようとしました。しかし、一日では到底、できないことが分かりました。 説教準備などを考えれば、危ないところでした・・・。教会生活、信徒の生活の手引きを書くことは、牧師としては、実にやりがいのある仕事です。同時に、顔が見えない方に、読んで頂くテキストをつくることは、実に、 難しいことです。皆さまと、祈祷会で読む時間にはるかにまさって、そこから派生するお話しの方が長いのです。キリスト者として生きる。それは牧師も信徒も分け隔てなく、祝福と課題、恵みと責任があります。この幸いと使命とをいきいきと記すことは至難の業です。しかし、牧師の「愛の手紙」「神の作品」としての会員を訓練すること、養育することは、固有の務めでもありますから、わたし自身が「模範」でなければ、空虚です。 また、そのような模範的信徒が増えることが、教会の実力です。若い教会の弱さは、まさに、そこにあるでしょう。しかし、もはや、若いと言って甘えていてはなりません。皆で、後から救われて加えられる会員の生きた模範になりたいのです。一冊の手引きより、生きた模範的キリスト者の存在にこそ力があります。

☆   子どもの教会の説教の後、いつも、一曲、ゴスペル・コンテンポラリーな賛美歌を歌います。2月の讃美として、「愛と感謝」(スーパーフライ)を歌いました。これは、まったくキリスト教とは関係のない楽曲です。  しかしあえて、私のリクエストで、教師会の議を経て、歌いました。10年以上前、スマップの「世界にひとつだけの花」以来、世俗の歌を教会で歌いました。世俗の歌詞、歌手ですが、それを信仰者が神の前で、信仰の歌と理解して歌うのです。教会学校教案誌、日曜学校委員会の責任を担うわたしが、そんな事で良いのか?確かに議論が起こることでしょう。しかし、普段、若い仲間たちの多くが(私どもも?)賛美歌を口ずさむことなく、世俗の歌を歌う現実のなかで、このスーパーフライさんの歌を歌うなら、神と人への愛と感謝を鼓舞されるのではないかと思います。キリスト者でありながら、愛と感謝からかけ離れて生きる・・・、未信者の方が、このような作品を生んでくださる・・・。神に感謝せざるを得ないのです。いずれにしろ、子どもたちの讃美と礼拝が豊かになりますようにの願い、取り組みは真剣に続きます。