過去の投稿2010年11月24日

説教音声のご紹介

★ 今週の日曜日、日本キリスト改革派教会園田教会で、説教のご奉仕をさせていただきました。朝と夕べ、二つとも伝道礼拝式における伝道説教でした。
日頃は、自分の説教を聴くことがほとんどありません。しかし、今回、園田教会のホームページにわたしの説教の録音がアップされています。
おかげさまで、自分の教会のこの場所にお訪ね下さったあなたさまにも、聴いていただくことができるようになりました。園田教会の奉仕者に心から感謝いたします。ぜひ、肉声で聴いてみて下さい。そしてどうぞ、私どもの教会に足を運んで下さいませ!どれほどうれしいことでしょうか。→http://www.voiceblog.jp/sonodachurch/

★余談ですが、昨年も、韓国でさせていただいた説教を、韓国の教会のホームページによって、日本で聴きました。不思議な気持ちでした。そこでも、自分の課題を見せられました。今回も、同じでした。説教している最中は、まさに「興奮」しているわけで、自分を客観的に見ることは、ほとんどできません。それがきちんとできるまでには、なお、研鑽を重ねなければならないでしょう。ただし、正直に申しますと、説教の本質からすれば、それが良いことなのか、疑わしい思いを抱いてもいます。しかし、後日、録音によって、ときに、自分の説教を冷静に分析し、反省の糧とすることも必要と思います。

★ 子どものための説教も・・・。まさに、冷や汗ものでした。というのも、礼拝説教者は、子どものためにも礼拝式の中で説教するという「約束」であった「よう」です。しかし完全に、失念していました。当日、礼拝式の打ち合わせと祈りのとき、確認の意味で、ご指摘を受けました。そこで、5分の間に・・・、組み立てることとなりました。子どもたちには、まことに申し訳ないことを致しました。まさに、恥の「公開」説教です。
 
★ 昨日(11月23日)、中部中会日曜学校教師研修会が開催されました。今年の主題は、「大好きなイエスさまを物語る」でした。そこで、講師の二宮創牧師から、説教における黙想の重要性をあらためて教えられました。一週間かけて、説教を作成なさる先生・・・!
本当に、申し訳ない思いです・・・。
このような危機のときにこそ、まさに説教者の核、軸にあるものが、現れるのかもしれません。つまるところ説教とは、まさに大好きなイエスさま、生けるキリストを指差し、目前に示し、紹介し、物語り、何よりも共に礼拝すること、これに尽きます。(神学的に言えばあまりにも乱暴すぎる表現ですが・・・)
子どもたちに語ることは、牧会している子らであれば、それほどまでに緊張はしません。しかし、牧会していない子らに語ることは、実は、大人のための説教とは比較にならないほど、困難を極めます。うろたえながらした説教・・・、公開されて(しまって)います。大人のための説教だけを紹介するのは、不誠実でしょうから、ご関心のある方は、こちらを→http://www.voiceblog.jp/sonodach/

またまた宣伝ですが、どうぞ、日本キリスト改革派教会 名古屋岩の上伝道所の子どもの教会にも、お子さまを連れてお越し下さいませ!

※ 園田教会の皆様と共に神を礼拝し、主イエス・キリストからの豊かないのちの水を受けることができましたこと、心から神に感謝すると共に、このような機会を与えて下さった兄妹にも、心から御礼もうしあげます。