過去の投稿2011年2月21日

2月20日

★  先週の主日の午後、叔母の訃報を受けました。急きょ、火曜日の前夜式、水曜日の葬儀式の司式のために、出かけました。実は、先々週、東京での会議の後、叔母を見舞いに行った時には、危険な状態を乗り越えつつあるのかもしれないとの期待を抱いただけに、驚かされました。正月の帰省時には、二日続けて、まさに「家族(親族)伝道」の病床訪問を致しました。アルツハイマーもあっただけに、きちんとした応答は既に困難でした。病床で、肩もみをしながら、耳元で、「これまでいろいろとお世話になりました。ありがとうございます。叔母さんに、おこずかいを頂いて、牧師になれました。わたしは牧師ですから、わたしが手を握ってお祈りしているのは、イエスさまが叔母さんの病床にもこれまでもずっと居て下さったのですよ。そして、これからも隣にいてくださいます。手を握っていてくださいますよ。叔母さんにも天国に行って欲しいので、主イエス・キリストのお名前を呼んでください。イエスさまとその尊い御名、お名前を唱えられば、罪赦されて、天国へと、真の神さまが抱きかかえて連れて行って下さいますからね。」同じことを何度も申しあげて、祈りました。

☆  長く一人で生きて来られ、母を頼りに横須賀に来られました。しかし、数年後に発病、やがて老人施設へ。母はすでにキリスト者となっていましたが、伝道はできませんでした。母は、長女として妹の面倒を見るという強い責任感を持っていました。わたしは、キリスト教式で葬儀ができるようにと祈っていました。しかし母は、僧侶を呼んでやってもらうと考えていたのでした。しかし、思いがけない訃報を受け、何よりもキリスト者の兄の進言もあずかって、キリスト教の葬儀、わたしの司式で執り行う事と致しました。洗礼はもとより、きちんとした信仰告白もしていませんが、天国への旅立ちとなるキリスト教葬儀を執り行うことができることは、幸いであったと心から感謝致しております。(誤解なきよう記しますが、キリスト教式でも仏式でも、葬儀の方法によって天国が決定されるわけでは、まったくありません。)

★  皆さまの葬儀式アンケート、なお、時間をかけてくださって、かまいません。まさに家族伝道の一つの、しかし大きなきっかけ、チャンスにしてください!自分の信仰を語る絶好の機会ではないでしょうか。

☆  先週、奏楽奉仕者との打ち合わせの時を持ちました。今回のように時間を掛けて行ったのは、初めてかもしれません。何度も申しあげている事ですが、主日礼拝式において「奏楽者」の務めは、「説教者」(私どもの教会は、司式を、牧師固有の務めであるとの認識を持っています。)の次に重要です。まさに、礼拝式において重大な役割を担っておられます。週報には、必ず、「練習と研鑽のために祈りましょう」と記しています。彼女たちがいなければ、私どもの充実した礼拝式は、まったくありえません。

三人の姉妹方は、賛美歌練習の指導をも担って下さる事となりました。又、今後、さまざまな情報を発信して下さるとも思います。オルガン・賛美によって天国の光は私どもを鮮やかに照らし、神の美しさ、天国の喜び、その祝宴が映し出されます。私どもは「知性・理性」を徹底的に重んじます。「しかし、わたしは他の人たちをも教えるために、教会では異言で一万の言葉を語るより、理性によって五つの言葉を語る方をとります。」(コリントⅠ第14章19節)とある通りです。しかし、わたしは、礼拝式全体は、理性・知性をも越え出る「もの」であると考えています。それは特に、「賛美」において表出されると考えています。とりわけオルガン演奏!。奏楽者のために、いよいよ祈りましょう。また、この奉仕に新しく就かれる方が起こされればなお、幸いです。・・・わたしも少しずつ、賛美や礼拝音楽についても発信すべきと自覚を深めます・・・。(以上、14日記)

★  葬儀に向かう途上(火曜日午前)、○○○○兄(!)の病床に立ち寄りました。地上での最後の時となることを、覚悟してのことです。奥様、○○姉、ご親戚の方の三人が看取っておられました。賛美歌を○○姉と三人で歌い、祈りをし、お別れ致しました。その日の夜に逝去されました。「主イエス・キリスト アーメン」との信仰告白のときから、なお、地上でのしばしの信仰生活が与えられ、今や、栄光の御国へと移されています。

☆  母より、「キリスト教式の葬儀でして本当によかった!」と。親不孝者(横須賀を離れ・・・)なのですが、少しは親孝行できたかなと思います・・・。わたしの家は、既に全員キリスト者。兄の長女も、高校受験生ですが、信仰告白、洗礼の準備をしているとのこと・・・。主の約束「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたも家族も救われます。」(使徒言行録第16章31節)を、素朴に信じ、受け入れて・・・。家族、親族伝道へと・・・。

★  昨晩(17日)、○○委員、○○委員、そして○○姉、家内と共に、○○姉のご実家をお訪ねし、仏式の葬儀の前、簡略ながら主にある葬りの祈りを捧げました。祈祷会における皆さまの祈りへの応答を、鮮やかに拝することが許されたこのたびの御業、まことにSoli Deo Gloria!。主の御名だけが崇められますように!