過去の投稿2011年7月5日

愛知県立芸術大学学生の主日礼拝式感想

愛知県立芸術大学 学生の主日礼拝式への感想

【今日は、とても貴重な体験をさせていただきありがとうございました。
今まで自分が進んできた人生になかった世界を拝見させて頂くことができて、充実した二時間だったと思います。

最初はまったく、自分の知らない場所に行くという事で、とても緊張していたのですが、お暑い中、わざわざ迎えに来て下さった○○○さんや、教会に居た優しげな女性の方々や元気のいい子供たちのおかげでしょうか。とてもリラックスした気持ちで礼拝に臨むことができました。私自身、あまり積極的に喋るほうではないので、皆様にお気を使わせてしまったことと思いますが、感謝しております。ここで、改めてお礼を申し上げさせて頂きます。

皆さん、まるで家族の様に仲睦まじいご様子で、見ている私まで幸せになるようなそんな教会の雰囲気は、失礼ですが私が今まで思い描いていた、教会とは「堅い」という勝手な思い込みを良い意味で壊してくれるような、素晴らしい場所でした。

礼拝の最中にも、お子さんたちの明るい笑い声が聞こえていて、ほほえましい気持ちになりました。また、教会で聞く讃美歌、先ほどまで笑い合っていた方々の口から紡がれる神をたたえる歌に、魅了されました。
皆で心を一つにして神をたたえる。オルガンの音が何重にも響いて、まるで此処が先ほどまでいた場所とは違う様な、そんな感覚でした。そして、それがあの教会だけではなく、全国の教会で同じ時間に行われているのか、そう思うと、それだけでも背筋に鳥肌が立ってしまいました。

皆で唱和する個所や、讃美歌は、申し訳ありませんが、まったくわかりませんでしたので、皆様に混ざることはできませんでしたが、それでも皆さまと同じ空間に居るだけで、自分がどこか違う場所に来てしまったような。
相馬先生が授業でおっしゃっていた、「聖書は教会で読むことによってはじめて為される」という言葉の意味を、少しだけ、感じることができたような気がします。

今回感じたことは、+の面ばかりではありません。
二節を読み解くだけでも、二時間を必要とする、聖書の読解。果して年間を通して回数が決まってしまっている授業内で、どれほどの事が理解できるのでしょうか。授業を受けただけで、とても奥が深いキリスト教という世界の片鱗を分かったつもりでいましたが、自分はその入口にすら未だ程遠いのだと、痛烈に感じました。

残り数える程度しかない授業ですが、今までよりも数段、読解の心を深めながら、授業に取り組ませて頂きたいと思います。また、必須の授業がない限り、後期キリスト教学も是非受講させて頂きたいです。

今回は、本当にありがとうございました。】

【返信ありがとうございます。

教会とはいろいろな年齢層の方々が、わけ隔てなく、イエスキリストにつながっている場所なのだと感じさせて頂くことができた、素晴らしい経験でした。

長期休暇中は実家に帰省するのですが、是非地元の教会などにも脚を運んでみたいと思いました。

日曜日は本当にありがとうございました!  】