過去の投稿2011年12月14日

12月11日

 ―牧 会 通 信―

★  先週は、礼拝式後、いささか早めでしたが、大掃除を行いました。力を合わせて奉仕が担われました。感謝いたします。わたしと○○委員とは、○○氏の洗礼入会試問会を行っておりました。これまでより、長い時間がかかったかもしれません。「誰か助けに行かなくては・・・」という声が聴こえたとか・・・。それは、冗談だと思いますが、試問会とは、神が志願者になされた御業を確認し、教会に生涯仕えて行くその信仰と志とを互いに確認するものです。これからは、長老こそがこの試問会の主役にならなければなりません。牧師は、志願者と学びを重ね、救い(信仰告白)へと導きます。したがって、神の御業がどのようになされたのかを、まさに目の当たりにさせていただけるわけです。しかし、長老は、それを客観的に判断する立場に置かれます。

☆   洗礼を受けて、教会に入会する。これは、教会の働きの中で、まさに頂点に位置する喜びのときです。ふりかえれば、今年もまた決して多いわけではありませんが、○○兄、そして○○姉が起こされました。それぞれの「時」を備えて下さった主なる神に心から感謝いたします。洗礼は、まさに出発のときです。確かに、志願者は、信仰の知識、つまり、教理や歴史や制度についての知識は、ごくわずかなものだと思います。しかし、自分がまったくの罪人であること。十字架と復活の主イエス・キリストを信じ、その恵みによって赦された罪人であることを知ることができたら、それでよいわけです。そして、教会と共に、教会のために全存在を捧げて行くその「方向性」これが、正されているなら、よいわけです。進み行くべき方向さへ、狂いがなければ、後は、歩み続けるだけです。「神中心・Soli Deo Gloria!・・・」この方向へと進む歩みのことを、「悔い改め」と言います。キリスト者は、「聖徒のまじわり」(使徒信条)である教会に生き、教会を形成することへと召された者です。その交わりをどのように建て上げて行くのか。私どもは、マタイによる福音書第18章で、まさに集中的に学びました。赦しの共同体。慰めの共同体。愛の共同体です。私どもは、大胆な罪人として、生きることが許されています。それは、自分が赦されてはならないほどの罪人の頭でありながら、イエスさまの十字架の贖い、犠牲によって救われた(赦された)者であるとの自覚に生きることです。そこに、感謝、自由、喜びがあります。この自由に生きる人が、ひとりでも多く起こされることのために、これからも、私どもは全力を傾注し、奉仕を束にし、各々の賜物を差し出しながら、主に用いられてまいりましょう。

★   伝道所委員会報告の出席者の欄に、ひとりの兄弟の名前が記載されています。今回、○○兄が陪席を希望され、出席していただきました。それが何を意味しているのか・・・。長く(どこまでが長くなるのでしょうか?2~3年、教会生活をすれば・・・と思います!?)教会に生きている方は、ご理解いただけるものと思います。もとより、ご本人には、絶対、委員(それは、近未来の執事候補者)にならなければならないということで、陪席を許したわけではなく、さらに真剣に祈るための手掛かりとして・・・です。土曜日に、御申し出を受けたとき、肉体的には本当に疲労困憊の状況でしたが、静かな力が上から与えられました。これ以上、書くとプレッシャーを与えることになりますので、控えます。仕事、時間の課題について、委員会で述べられました。わたしは、「祈祷会の出席は、どうしても必要。それは、状況が開かれるのを待つのではなく、選びとるしかない、献身する以外にない。」このような主旨で応答いたしました。もとより、誰しもが、最初からよい委員、長老、執事になれるわけではありません。学びが大切です。そして、実際に奉仕を重ねることが必須です。しかし、何よりも、神の召しを信じ、献身することです。この「召し・召命」とは、自分を献げることと相即します。捧げようとしない人は、召されていても、それを受け入れないからです。そして、その献身そのものも、成長するものです。それは、洗礼入会者と同じことです。主の招きの声に、聴き従って、出発することです。方向さへ狂いがなければ、必ずや、主の器として、主が整えて下さいます。(その方向とは、岩の上教会の歩みの方向に他なりません。教会役員とは、そのような教会として進み行くために牧師と共に責任を担う奉仕者なのです。)

★   オルガンの位置、慎重に決議するためになお、前方に設置しています。委員会報告をお読みくださり、お聴きください。

☆  今回の伝道新聞「岩の上だより」、業者に印刷を依頼しました。これまでの自前の印刷とは、別格です。今回は、すべてを奉仕者で担当してくださいました。未受洗者の○○君のデザイン・・・。感謝します。「教会」にふさわしい新聞になったように思います。もとより、「チラシ」は、道具です。これを用いて、お誘い下さい。