過去の投稿2012年4月3日

4月1日

―牧 会 通 信―

-1994年4月3日に開拓伝道を開始以来、本日で18年目の記念の日です。-

★  本日より、受難週が始まります。教会員となられて初めてこの特別の週を迎えられる方も、すでに何十回と迎えている方々も、特別の思いを込めて、過ごしたいものです。水曜夜の祈祷会に出席がかなわない方々は、何とか、木曜日、そして金曜日、この両日(7時30分~)の祈祷会のいずれかにご出席ください。
子どもの教会の週報から、聖書日課を抜粋します。  ≪受難週の祈りのしおり≫
1日(日)「エルサレム入城」=マルコ11:1~11    2日(月)「宮きよめ」    =マルコ11:15~19
3日(火)「オリーブ山で」  =マルコ13:31~37   4日(水)「ベタニアの香油」=マルコ14:3~9
5日(木)「最後の晩餐」   =マルコ14:22~26   6日(金)「十字架」     =マルコ15:33~41
7日(土)「墓の中」     

☆  先週の水曜日の夜の祈祷会の前の1時間の読書会、テキスト=「改革派信仰とは何か」(牧田吉和著)を読了しました。「付録」として所収された「喜びに満ちたカルヴィニズム」は、付録ではありますが、しかし、私どもの日本キリスト改革派教会の現状にとって、極めて重要なメッセージでした。  そもそも、神学とは、教会の「自己批判」としての学問です。自分たちの教会の営みが真に聖書に即しているのか、つまり、「神の御心」に即しているのかを厳密に検証する批判の筋道です。この読書会は、本来、長老候補者の学びを意図しましたが、それ以外の方々の熱心な参加を得ることができましたことを感謝しています。いったん、休みますが、また、再開したいと願っています。

★  いよいよ、次主日は、復活祭です。洗礼入会式を挙行致します。振り返ってみますと、大学生の洗礼入会式は、○○委員いらいのことではなかったかと思います。本当に、久しぶりです。特別の感慨を持ちます。何より、わたしが洗礼を受けたのは、二十歳、大学生のときでした。第二に、金城学院大学と愛知県立芸術大学とで講義を担当するようになって、初めて信仰に導かれ、自分の教会で洗礼を受けることになったことです。大学での奉仕については、「真剣勝負」という言葉を何度も使いました。それは、「伝道的」教育奉仕として担ってきたからです。毎回の講義が伝道集会・・・、そうなるようにとの祈りが根底にありました。

☆  試問会の折、主日を守れない職業であれば、中学生のときより志望してきた職種であっても、「こちらからやめる」という志が表明されました。忘れがたい言葉です。そして、それは、先輩である私どもの姿勢をも問い返す志でもあると思います。もとより、大学生は、まだ「現実」を知らないと言えば、その通りでしょう。しかし、「信仰の現実」こそ、現実を乗り越えるものです。

★  先週の説教で、「山を動かす」ほどの信仰について学びました。人類の前に究極に立ちはだかる「山」とは何でしょうか。それこそ、「死」に他なりません。そして、実にこの山は海の中に移し入れられ、沈められてしまいました。いうまでもなく主イエス・キリストの苦難と死、十字架とご復活の御業のゆえです。このキリストを信じ、 それゆえキリストと結ばれた者(洗礼はそのしるし)は、皆、罪赦され、神の子とされ、永遠の命を受けています。この究極の「山」が既に動かされた故、わたしどもそれぞれの前に立ちはだかる山(課題・試練)もまた、乗り越えて進むことができます。主の勝利は、私どもの勝利なのです。これから先のキリスト者の長い生涯、試問会の志を主が守り支えて下さいますように。

☆  次主日は、○○兄と□□姉の伝道所委員の就任式も挙行致します。ご夫妻で、教会に仕える特権と光栄、実に羨ましいかぎりです。将来の執事候補者です。委員としての奉仕のための勉強会は、なお、継続します。若い教会に、若い兄弟姉妹が加わり、さらに教会をその真ん中で担って行かれること、実は、日本キリスト改革派教会をはじめ日本の諸教会にとって特別の祝福です。教会人としては、年齢の若さがハンディになることは、少なくありません。しかし、皆で主の権威を認め、重んじましょう。主が選ばれ、立てられるのです。教会の前進を果たすための必須であり、大きな土台となるのは、教会的権威を、信仰をもって受け入れることです。もとより、委員たちは、ディアコニアの主であられる主イエスの王としての僕の在り方に徹底的に倣うことが求められています。仕えるリーダーシップがよく果たされますように。

★  被災者の方にお便りを書き続けています。安易な慰めの言葉は、相手を傷つけるだけです。しかし、それでも、ことばを記します。主の憐れみを祈りつつ。私どもが受けた慰めにあずかって頂けますようにと・・・。