過去の投稿2012年4月10日

4月8日

 

―牧 会 通 信―

-主イエス・キリストは、実に、死者の中から甦られました。
死をもって死を滅ぼされた、いのちの主を賛美し、感謝致します。
主のご復活によって、私どもの罪は赦され、神の子とされました。おめでとうございます。

★  新しく伝道所委員がお二人加えられました。○○兄は、献堂の年(2003年降誕祭)に洗礼入会されました。また、**姉は、契約の子として**教会にて養われ、ご結婚によって同時に入会されました。すでに短いとは言えない教会の生活を重ねられました。そして遂に、志を与えられ、委員として志願、そして総会にて委員会推薦に基づき選挙を経て、今日の就任となりました。彼らは、この一年、伝道所委員として「執事職」を代行します。これは、教会規定第60条(執事会職務の代行)「伝道所においては、伝道所委員会がこの職務を代行する。」に、規定されているとおりです。

☆  教会規定第4条・教会役員によれば、「聖書によれば、一切の教会権能をつかさどる教会役員は、教師・治会長老・執事である。」執事は、教会の権能を執行する主体なのです。彼らは、役員候補者です。おそらく、来年は、就職式を挙行される予定です。教師、長老たちが頭の上に手を按(お)いて祈り(これを「按手」と言います。)、職務に就かせます。(これを「就職」と言います。)

★  「真の教会」として存在している目印(マークス)として、「説教と聖礼典そして戒規」を数えるのが、改革派教会です。この戒規=教会訓練の中に、奉仕(ディアコニア)を加える主張も、教会の改革者たちの主張でした。私どもの伝道所は、まさに、そのような主張、考えを保持しているわけです。(「信徒の手引き(リジョイス参照)」)つまり、「ディアコニアの実践なき教会は、教会にあらず」なのです。教会の執事的働き(ディアコニア)は、教会の存立の上で、必須なのです。教会であれ伝道所であれ、執事的奉仕、ディアコニアなき教会は実質的に存在していないということになります。お二人が、3:11のディアコニア支援室のメンバーとなられました。そのような導きを経て、委員就任の日を迎えます。まさに、神の摂理です。したがって、名古屋岩の上伝道所がいよいよ、「ディアコニアに生きる教会」言葉を換えれば、「互いに愛し合う教会」としての実りを結ぶ為に、いよいよ、善き奉仕が期待されます。

★  第58条では、執事の任務を下記のように規定しています。
    一 貧困・病気・孤独・失意の中にある者を、御言葉とふさわしい助けをもって励ますこと。
    二 献金の祝福を教会員に勧め、教会活動の維持発展のため及び愛の業のためにささげられたものを 管理し、その目的にふさわしく分配すること。
    三 教会会計及び教会財産の維持・管理を小会の監督の下に行うこと。ただし、財政上の重要事項は、会員総会の議を経て行わなければならない。
    四 個々のキリスト信者が愛の律法によって果たすべき一切の義務を、特に執事として果たすこと。
    五 教会員と共に、また教会員のために祈ること。
    六 牧会的配慮を要する事柄を、牧師に知らせること。
    七 伝道すること。
    八 諸集会のために配慮すること。
    九 教会内外の執事的必要を調査し、教会員に訴えること。

☆   今年度も、洗礼入会者をお迎えします。私どもの教会は、「洗礼式」と表記せず、洗礼入会式と表記します。洗礼とは、現住陪餐会員としてキリストの体なる教会、神の民の祈りの家、神の家族に加えられることを意味しているからです。そして、洗礼の礼典は、教会に与えられた礼典、恵みの手段であることを、改めて確認しましょう。それは、何を意味するのかと申しますと、洗礼を受けるのは、□□兄です。しかし、この礼典の恵みに今朝、私ども先に洗礼を受けた者たちもまた、この礼典の祝福にあずかることができるからです。その意味で、まさに、礼典、教会共同体全体が受ける礼典でもあります。自分が洗礼を受けた幸いと恵みと意味と目的をこの日、新たに悟らされます。悟りましょう。

★  中部中会第一回定期会の議案書によれば、昨年、今年度と会員減少を食い止められません。私の計算では、35名減です。一つの教会が無くなるほど・・・です。私どもは、伝道困難の名古屋で、これまで通り、「狭く険しい」「キリストの主権と自由」に服する、神の教会の形成に、いよいよ励みましょう。