過去の投稿2012年5月10日

5月6日

 

―牧 会 通 信―

★  先週も、礼拝式を終え、取るものもとりあえずという形で、浜松伝道所に向かいました。このような1年あまりのときを、過ごしながら、私どもの群れもまた伝道所委員を中心に、皆さまのご奉仕によって、ささえられてまいりました。改めて心から感謝申し上げます。そしてついに、本日より浜松伝道所の礼拝式は、通常にもどり、午前の礼拝式になります。東部中会の引退教師の望月明先生ご夫妻が「定住の説教者」という新しい形の伝道者のあり方において、ご奉仕を始めて下さるからです。

★  最後の午後の主の日の礼拝式。説教の冒頭で、思わず、浜松の皆さまに感謝とお礼を申し上げました。それは、定住の牧師を欠いて、しかし、教会の諸集会と交わりを守るために、祈りと奉仕を束にしてくださったからです。委員方を中心に、この厳しい試練を見事に乗り越えて下さいました。神に感謝するのは当然ですが、しかし、浜松の会員方にも心から感謝の思いをお伝えしたかったのです。「無牧」それがどれほど、教会に困難を強いることになるでしょうか。もとより、誰も、それを願って辞任する伝道者はいません。しかし、現実には、これから、牧師の数が絶対的に不足することは明らか過ぎる現実ですから、無牧の教会が増えることは、ほぼ間違いないと思われます。その「とき」を、むしろ益に変えるためには、まさに、委員と会員の総力をあげなければ、不可能です。

☆  これからもわたしの代理宣教教師の務めは、続きます。しかし、これまでのような奉仕の形態はとることはないはずです。中部中会において、浜松の群れもまた、今後、大きな位置をいよいよ取られると思います。心から期待しつつ、なお、小さな力でもお役に立てればと願っています。

★  この通信は、被災地ディアコニアに出発する前に、記載しています。主日、無事に、ここで務めを果たせますように。報告は、また、後日となると思います。

★  宮古の岩塚牧師より、メールを頂きました。先生は、わたしの神学校時代の1年後輩の先生です。昨年は、浜松伝道所の牧師館でひとときの休息のときをもっていただき、久しぶりの主にある交友をあたためることができました。まったく思いもかけなかったことですが、浜名湖の大会役員修養会の席で、急きょ、先生の報告、証の時を設けていただきました。先生の旅費は、ディアコニア支援室より支援させていただきました。また、先生には、9月のディアコニアにおいて、坂元中跡でカフェを開催していただきました。この「借り」は、宮古に行くことでお返ししたいのですが、まったく出来そうにありません。
 
先生は、ひと月前、足首を物資の積み下ろしの際、骨折され、現在、リハビリ中とのことです。おそらく疲労骨折なのではないかと、わたしは思っています。あらためて被災地で主のため、その地にすむ主の民のために懸命に奉仕される先生をはじめ、すべての牧師、キリスト者のために祈ります。 先生のお許しを受けて、記載させていただきます。
【私は、震災後、
①『教会が世に遣わされている』、
②『語るより、聞くことと仕えること』、
③そして『何よりも愛すること』
をモットーに活動してきました。
教会は、兄弟姉妹、世の人達を集めるための存在であると同時に(あるいはその前に)世に遣わされる拠点としてとらえられるべきだと意識改革されました。
クリスマスには、教会に誘うことよりも、教会のクリスマスを出前するからと言って、多くの仮設で教会と同じ内容のクリスマス会をしました。教会だと50人で入りきれないですが、10か所以上の仮設でクリスマス会をしたので300人以上の方たちと共にクリスマスを祝うことができました。教会に行きたいという方にも何人か出会いましたが、「私たちが毎週来るから、今は無理して来なくていいよ」と言ったくらいです。誘わないのに、現在、被災者で教会に来始めている方たちは、10名近くになります。洗礼準備クラスを受講している親子もいます。

震災以前から、思わされていたことは、都市部でない地方では、種蒔き以前に土壌改良が必要だということです。1年間多くのクリスチャンのボランティアが被災地を訪れてくださり、被災者に寄り添い続けて下さったことにより、不毛の地が耕され、収穫を期待できる地と帰られたとの手ごたえを実感します。】