過去の投稿2012年8月12日

8月12日

★  四国中会での講演が終わって、一息つく間もなく、来週は、西部中会の8:15「平和集会」です。この集会は、実は、3:11以前に依頼を受けたものだったと思います。しかし、やはり、3:11以降の平和集会として、当初、頭に描いていたこととは違うものを構想すべきと考えるようになりました。しかし、それを、きちんと展開する「書斎」、「時間」、何より「能力」がありません・・・。

☆  平和集会の講演題は、「愛と平和の手紙としての教会形成」としました。講師からのチラシ用の呼び掛けに、このような言葉を記しました。【政治的発言や行動は、教会(中会・大会)としてではなく、一市民、一個人として行うべ きである。」さらに、「神の御名を用いて政治的発言をすることは、第三戒に違犯する」という主張もあります。キリスト教信仰は教会なくして成り立ちません。その教会は、平和の福音によって形成されます。教会の存在理由は、これを宣べ伝えることにあります。そして、教会の使命は、平和をつくりだすことにあります。神は、私たちを奉仕者として社会に派遣されています。ディアコニアの視点からも、平和の問題を考えてみたいと思います。】大慌てで、委員会に提出したものです。しかし、この呼びかけそのものも整理整頓できていません・・・。結局、不十分のまま、恥をかきにまいります。しかし、自分が恥をかくだけならかまいませんが、出席者の皆さまと、何よりも主のご栄光のために、本当に、申し訳ない思いで一杯です。

★  しかも講演から戻った翌日は、第8回ディアコニアに出発します。そして、戻った翌日は、主日です。その説教は、3週間前に草稿を書きました。説教題は、「愛と平和の手紙としての教会」です。当然ながら、平和集会の講演とは、まったくかぶりません。しかし、テキストは、ローマの信徒への手紙第16章です。記憶のよい方は、このテキストから5月の第一主日に「よろしく -平和をつくりだす挨拶-」という説教をしたことを覚えておられるかもしれません。新たに語りなおさせていただきます。

☆  先日、浜松伝道所の定住の説教者としてご奉仕くださっている望月明先生から、ご自身が寄稿された機関紙を頂きました。浜松の皆さまにも、読んで頂くようにお勧めしましたが、その一部を御紹介させていただきます。(後日、なんと、○○長老からもメールで、この文章を御紹介いただきました。)

「~しかし、同時に、今日の日本伝道においては、主イエスが差し伸べられた御手の業の意味が見失われ、無視されてしまっているのではないかと反省しているところです。教会の伝道としてはみ言葉を語ることのみに集中し、そのための研鎖はするのですが、病んでいる者、孤独な者、貧しい者、障害を持つ隣人たちへ具体的・積極的に「手を伸ばす」働きは忘れられてきているのではないでしょうか。わたしがここで考えているのは、決して大規模施設の設置・運営のことではありません。各個教会が置かれている地域に住んでいる病んでいる者、孤独な者、貧しい者、障害を持つ隣人たちへ取り組みを真剣に考えるところから、伝道への課題が見えてくるのではないでしょうか、ということです。「愛の執事的奉仕」という美しい言葉は語られるのですが、現実の教会の取り組み課題となっていないところが日本伝道の問題なのではないでしょうか。
わたしたちがなしてきた日本伝道、「みことば中心」という教会的伝道は、実は大きな欠陥を抱えてきたのではないかと、今、引退教師になって気付かされてきたというのが実情です。今日、それらのこと…福祉的な活動、教育的な活動…は一般社会の、つまり国家や地方自治体の福祉事業、教育事業の領域と思い込んでしまっているのではないかと思えるほどです。少なくとも今日、極めて広い意味での福祉と教育をキリスト教会の奉仕の領域として再確認することが求められているのではないでしょうか。「世界観的キリスト教信仰」は、どこへ行ってしまったのでしょうか。世界観的信仰をある社会的関心事に限定してしまい、教会の伝道を考える基本的な視座としてこなかったのではないでしょうか。その結果、極論すれば、日本での伝道の体勢は、み言葉神秘主義あるいは具体的な身体性を持たない化現論的な方向に走ってきたのではないかと危慎しています。」 大変、重要なご指摘だと思います。

★   今こそ、日本は新しくならなければなりません。それは、日本の教会が、新しくならなければ始まりません。日本キリスト改革派教会は、古くて「新しい教会像」、「ディアコニアに生きる教会」として再生される必要があるはずです。四国でのお話は、日本キリスト改革派教会は、徹底的に、創立宣言と20周年宣言を実践して、制度的教会を堅固にしかも、聖霊の力溢れる教会として建て上げるべく、立ち上がろうと呼びかけました。しかし、それでだけでは、済まないとも訴えました。つまり、ディアコニアに生きる教会の形成です。新日本建設のためにです。私ども日本伝道、教会形成の「宿題」です。