過去の投稿2012年8月26日

8月19日

★  先週の夜の祈祷会で、創世記第11章にあるバベルの塔の物語を学びました。あわせてⅡペトロ第3章、特に6・7節を学びました。
(「当時の世界は、その水によって洪水に押し流されて滅んでしまいました。 しかし、現在の天と地とは、火で滅ぼされるために、同じ御言葉によって取っておかれ、不信心な者たちが裁かれて滅ぼされる日まで、そのままにしておかれるのです。」ノアの洪「水」による神の裁きの次に、「火」による最終的、最後的刑罰が警告されています。この火とは、核分裂による放射線ではないか、とわたしは申し上げました。 3年前に記した「信徒の手引き」(下記は、リジョイス簡易版)にこのようにあります。

【(2)科学の知恵と神の知恵
   現代は、目に見える科学的知識のみが、真理であると主張する人が少なくありません。しかし、そのような思想こそ、むしろ「迷信」の類と言わざるをえません。そもそも、生ける真の神は、目に見えません。(ローマ1:20)もし、神にかたどられた人間が、「見えないものに目を注」(Ⅱコリ4:18)ぐことを止めてしまうなら、「人間性」そのものが損なわれてしまうはずです。例えばもし、目に見えない真理である愛や人権、平和や自由という価値を否定するなら、この世界も、また科学じしんも、その目標を見失ってしまうでしょう。その結果、今が楽しければそれでよいという虚無的な考えに陥り、世界は崩壊して行かざるを得ないでしょう。

聖書が与える神の知恵とは、「主を畏れることは知恵の初め」(箴言1:7)とある通り、言わば高次の知です。つまり、人間のありとあらゆる知恵の土台であり目標とすべきものです。科学的知識や技術の価値と目標は、神を喜びその栄光のために用いられるときにはじめて、正しく人間の幸福を増大させることへと用いられるのです。その意味で、科学の知は、常に謙虚でなければなりません。

本来、科学的真理もまた、迷信や偽りを打破し、私たちをふさわしい自由へと促すものです。わたしたちは、出来る限り諸学からの知識を広く深く学びとり、科学的思考を養いたいものです。もし私たちが、科学(目に見える真理)とキリスト教(目に見えない真理)とを対立させたり、分離させたりするなら、善き管理者としての責任を十分に担うことはできません。科学的知識を正しくコントロールする信仰の知恵を身につけたいと願います。そのためにも、神の英知を讃美して礼拝し、真理そのものでいらっしゃる主イエスに従い、真理のみ言葉を学び続けましょう。これが私たちの特権であり、使命なのです。】   

 このように書きながら、しかし、核兵器、原発の問題には、一言も触れていません。(この部分だけは、 書き足すことになります)まさに、自分で書いた文章ですが、「霊性の低さ」が問われるのだと思います。「原子力の平和利用」「原発の安全神話」は、まさに「迷信」!と言わざるを得ないのです。「騙されていた。知らなかった・・・。」戦前、戦中の日本人が戦後つぶやいた嘆きです。今、教会、キリスト者もまた、同じようなつぶやきが聞こえます・・・。私どもは、今こそ、無知の罪、知ろうとしなかった罪、声を挙げなかった罪を懺悔しなければならないはずです。主よ、憐れんで下さい。

☆  第7回の被災地ディアコニアの感想を、皆さんと深く共有しなければならないと思います。今回は、いつもの三つの仮設の他、新しく訪問することを企画していました。しかし、現地(のぞみセンター)の状況を勘案し、いつもの三つにしました。しかし、そのことによって、金曜日には御留守のお宅も、土曜日には、おられて、多くの皆さんとお話をすることができました。二回目の夏を迎えています。状況は、変わりません。ということは、それだけ、狭い部屋に閉じ込められている皆様の過酷な状況に、心痛むばかりです。お一人のご婦人が、センターでのコンサート中、携帯がなって退席されました。翌日、お会いして、お孫さんが、「パニック」を起こして、倒れ、救急搬送されたとのこと。間違いなく、津波による「PTSD」(心的外傷後ストレス障害)です。また、センターに遊びに来られていた親子、そのお母さまからも、1年後、PTSDとなられ、休職され、 大量の服薬によって睡眠をとっているとのことも伺いました。その他、このスペースでは、記せません。本当に、私どもの震災ディアコニアはこれからいよいよ大切になる、そう思わざるを得ません。「センター」は、  すばらしいスタッフが起こされています。しかし、大勢の被災者に寄り添うためには、スタッフだけでは、まったく足りません・・・。祈り続けましょう。文通奉仕者の尊い奉仕がどれほど有効かを思います。

★  お一人のご婦人が、いくつもの手の込んだ編み物を、玄関先で、見せて下さいました。編み物の本と毛糸をお送りした方です。今、その本は、お友達に貸しておられるとのことです。私どもの「物資リクエスト」の企画がどれほど、「用いられた」のかということの一例だと思います。