過去の投稿2013年1月16日

1月13日


★  先週の伝道所委員会の閉会は、6時を越えていました。本日もまた、長い臨時委員会を開催することとなると思います。すべては、総会準備のため、年報作成のためです。お祈り下さい。

☆  私どもの伝道所委員会では、この数年、各担当の委員もまた「回顧と展望」を書いて頂き、年報にも掲載しています。これは、他の教会ではなされていないことだと思います。責任を明瞭にし、教会の現状をどのように認識しているのかを互いに分かちあうためです。これによって担当部分だけではなく、教会全体への配慮、教会形成のまさに主体としての訓練がなされて(それを期待して)います。

★  これまでのわたしの「回顧と展望」もまた、他の教会の年報ではほとんど見られないページ数(!)です。それは、この「通信」の志に通じるものでもあります。つまり、岩の上の歴史をふさわしく刻むために宣教教師、又開拓伝道者としては必須の務めとの自覚に基づきます。しかし、いよいよそれも今年度、転換点を迎えます。今後、小会主導となるということです。(既に13年度のものは、昨年の半分ほどのものとしました。)

☆  長老主義教会の教会形成の要となるのは、良くも悪くも小会であり、そして執事会です。この方々の信仰と献身と成熟なくして日本キリスト改革派教会としての教会設立は成り立ちません。しかしその一方で、役員が主導して行く体制となることは、これまで宣教教師ひとりが主導して来たことが単に複数化するだけになるという危険性もあります。つまり、会員の皆さんとのある距離が生じ、今度は、役員にお任せしておけばよろしいという誤りを犯すということです。この点こそ、おそらく今年の一つの要点となるだろうと思います。これもまた、当然、役員方の責任であり課題です。役員となる兄弟姉妹が、いよいよ「岩の上の歴史」「神学的理念」「志」を自らのものとして下さることが要です。役員とは、教会形成つまり歴史形成の主体となるということを意味しているのです。そして、会員方、とりわけ新しい会員にそれらを、ふさわしく「翻訳」し、共有し、歩調を合わせて頂くように務めて頂くことです。しかしこれらのことは、現住陪餐会員全員の課題であるはずです。

★ 教会設立は、決して「ゴール」ではない。昨年、何度か申しました。確かに、「目標」に掲げて、既に8年もの月日が過ぎました。教会の歴史の節目としては、決定的に重要な時です。しかし、あくまでも通過点です。教会設立は、福音のいのち=聖霊の力溢れる、奉仕の共同体となることを目指してのことだからです。すべては、「ここに神の教会を、ここにキリストだけを主と告白する慰めの共同体を形成させて下さい」の祈りを実現させる筋道を明らかにし、達成する道を切り開くためです。創立宣言や20周年宣言で学び、確認し合った日本キリスト改革派教会の真実の形成を実現するためです。

☆   第一ヨハネ第4章20節以下に、「「神を愛している」と言いながら兄弟を憎む者がいれば、それは偽り者です。目に見える兄弟を愛さない者は、目に見えない神を愛することができません。神を愛する人は、兄弟をも愛すべきです。これが、神から受けた掟です。」とあります。役員やその候補者たち(昨年組織された招聘員会の委員方は、まさに候補者たちでしょう・・・。)は、「僕たち」「仕え人」「奉仕者の中の奉仕者」です。それは、現住陪餐会員全員いよいよ教会への愛を富ましめられるようにと、その先頭で教会を愛し、会員を愛して行くべき人です。昨年、さまざまな困難な課題、試練の中で、やはり、委員方が、教会を愛する愛を深められたことを思います。皆さまも、委員方の牧会を正しく理解して下さることを、心から祈り願います。もとより、牧師も委員方も自分たちは、「十分なこと」をさせていただいたとの思いは、皆無だと思います。教会への愛、兄弟姉妹への愛、そしてそれを支える根源となるキリストへの愛がいよいよ深められることを祈ります。そして、お互いの愛が通じることをも、なお、忍耐強く祈り続けます。

★  先週、チョコの集会でお母さんたちのために聖書のお話をさせていただきました。ピカソからチョコへ、熱心に集会が継続されています。奉仕者スタッフの皆さまに心から感謝する者です。改めて父母の皆さんに、御言葉を伝える責任を思わされます。確かに私の奉仕の責任は当然としますが、御言葉の奉仕者がここでも、いよいよ起こされ、よき証のときとなりますように。

☆  年末から祈祷会で「コーヒーブレイク・バイブルスタディ」が重ねられています。朝と夕とで、それぞれ個性的な時となります。出席者によって御言葉の味わい方、掘り下げや展開が異なりますから当然のことです。先週の夜の祈祷会は、まったく時間が足らなくなってしまいました。今しばらく、この方法を続けさせていただくつもりです。その第一義は、伝道のためです。今年、ぜひ、ご家庭であるいは礼拝堂を利用して実践する方が起こされますように。しかし同時に、皆さんであれこれ、自由に分かち合うことも実に楽しいひと時です。